僕は彼女が好きなのに。
どうして君の顔ばかり浮かぶんだろう。
どうしようもない僕を好きになったところで、傷つけるだけなのに。
どうして傍にいるんだろう。
奏でるのは恋の歌 act.9
ちょうどこんな季節だったのかもしれない、とベッドの横にある窓の外の夕焼けを見つめながらキラは過去を振り返った。
『あなたがキラ・ヤマト?』
あどけない笑みを浮かべてキラに尋ねてきたのは赤い髪の毛の少女。
まだ高校に上がりたてなのだろう。表情に幼さが残っていた。
「そうだけど?」とキラが返すと少女は「良かった」と言葉を口にした。
『あたし、フレイ・アルスター。一年A組よ。あなたのピアノを聴きにきたの』
それがフレイとキラの出会いだった。
最初困った顔をしていたキラも次第に穏やかな顔になり、いつの間にかフレイがキラの教室に現れることに慣れてしまっていた。
同じクラスのトール・ケーニヒがキラを尋ねて来た時に「どうしてキラがピアノ上手いのか知ってるの?」と聞くとフレイはあっけらかんと答える。
『私の家の前、キラが通ってるピアノ教室だもの』
それでキラがここにいることを知ったのだと言っていた。その時、キラがなるほど、と頷いたのは言うまでもない。
自分のピアノが好きだと言ったフレイ。フレイの事情を知ったのはキラが大学に上がる頃だった。
『あたしね、きっと皆と同じように大人になれないわ』
「どうして?」とキラが尋ねた時、フレイは淋しそうに笑っていたのをキラは今でも覚えている。
最初はその理由を言おうとはしなかった。だが、フレイがその言葉を言った数日後、フレイの父が帰らぬ人となった。
その頃、キラも大学へと進学し、大学生活に馴染むのに精一杯でフレイのことを気にかける余裕すらなかったのだ。
大学生活と、徐々に開花していったピアニストとしての才能と、音楽コンクールなどに参加し、最優秀賞を取ったり、キラの生活はめまぐるしく変化する。
ある日、キラがへとへとになって帰って来た家の前でフレイが立っていた。
どうしたの、とキラが尋ねるとフレイは『キラに会いにきたの』、その一言だけだった。
キラはひとまずフレイを家に入れるとソファに座るよう促す。キラは冷蔵庫の中に入れていた麦茶を取り出し、コップに入れるとフレイに差し出した。
「これ飲んだら帰りなよ?」
家まで送っていくから、そう言うキラに対してひどく傷ついたような顔をしたフレイの表情があった。
キラは眉間に皺を寄せて首を傾げる。
「フレイ?」
「あたし、もう帰りたくない」
その一言を機にフレイはこれまでの生活をキラに全て話し始めた。父親がなくなってから親戚の家にたらい回しにされたこと。
今いる家も馴染めないでいること。
「わかってるの。あたしがいるのが面倒なのよ」
「どうして?」
「だって、私は病気を持ってるから」
「え?」
キラは初めてフレイが言っていた『同じように大人になれない』の意味を知ることになる。
病名はもう忘れたが、体の筋力が次第に劣っていく病気で、最後には起き上がれなくなり、死に至る病気なのだと言った。
だから、フレイがいること自体面倒なのだと言う。
「だから、もう、あの家には帰りたくない。キラのところにいちゃだめ?」
そう言われて誰が断れるだろう。
キラは「とりあえずいいよ」と言ってフレイがキラの家に泊まることを許した。
それからだ。フレイがキラの家に行き来するようになったのは。
ほとんど家には帰らず、キラの家に来ることが多くなった。
キラも多忙な身であったため、家にいる時間は少なかったが、それでもフレイは構わないようだった。
自分のスケッチブックを持って色んな景色やものを描く後姿を見たことがある。
構うことができないキラではあったが、フレイは楽しそうにしていた。
キラにとって転機が訪れたのはそれからすぐのことだった。
たまたま書いたキラの曲が大学教授の目に留まり、CD会社に打診したところ了承を得たのだ。
キラの作曲家としての道が開いた瞬間でもある。
それからはキラ自身ピアノに向かって練習と作曲の日々。
家にいることも多くなり、そのことでよくフレイとも衝突するようになった。
キラがピアノを弾いている姿をよくフレイがスケッチしていたのだ。
キラはそれが目に入るとイライラしてしまい、フレイに当たるようになる。
だが、フレイはキラの家を出ようとはしなかった。
そんな矢先、フレイが突然倒れる。病気の進行が予想以上に早く、フレイは入院を余儀なくされた。
入院したフレイはだんだんと口数が少なくなり、キラが見舞いに訪れると大抵布団の中にもぐってしまうことも多かった。
あまり自分の姿が見られたくなかったのかもしれない。
それでも入院生活に慣れ始めるとフレイは部屋の片隅にオーディオ機器を置いてCDを聴くようになった。
特に『アヴェ・マリア』と『アメージング・グレイス』を繰り返しかけていた。
それだけで病室は華やかさがあり、音楽の溢れる部屋となっていた。
ある日、フレイが布団で寝ながら音楽を聴き、キラはそんなフレイの横で課題をこなしていた。
『ねぇ、キラ』
なぁに、とキラがフレイへ尋ねるとフレイはお願いがあるの、と言った。
『手を繋いでて欲しいの』
フレイの言葉にキラは頷いて、片方の手でフレイの手を握った。最初に会った時に比べて細くなった手がそこにはあった。
いつの間にこんな風になっていたのだろう、そう思ったらキラは居たたまれない気持ちになる。
フレイに八つ当たりしていた自分がひどく恨めしく感じた。
『あたしね、キラの指好きよ。長くて好き』
この手でピアノを弾いてる姿好きなの、とフレイは笑っていた。
キラは笑って返す。ただ、上手く笑えている自信がキラにはなかった。
一つの季節を過ぎ、そしてとうとう自分で起き上がれなくなったフレイを見つめ、キラはいつもその手を握っていた。
その度にフレイはにこっと笑い、キラに曲をかけてとねだる。キラは適当にCDを選んでかけていた。
特に『アヴェ・マリア』はフレイが一番喜んだ曲だ。
「あの中にラクス・クラインの曲があったなんてね・・・・・・」
キラは一人呟く。夕陽はいつの間にか闇の色が濃くなり、白い月が顔を出していた。
もうすぐで夜が訪れる。夜が訪れ、また朝が来る、その繰り返し。
皮肉なものだな、とキラは呟いた。
あれから数ヵ月後、フレイは帰らぬ人となった。
キラはある程度フレイの事情を聞いていたため、幼馴染であり親友のアスラン・ザラと共に埋葬をした。
それはフレイ自身が望んでいたことでもある。
奇しくもフレイの亡くなった前日はフレイの二十歳の誕生日だった。
「フレイ・・・・・・」
いつの間にか、好きになっていた。
最初は守らなくちゃならない人だとそう思っていたのに。
気づいた時にはフレイのことを好きになっていたのだ。
葬儀が終わって、家に帰って、フレイの遺品を片付けていた時に出てきたのは一冊のスケッチブック。
その間に挟まっていたのは一枚の便箋。
『ありがとう』
ただ、その言葉だけだった。
よれよれの字で、きっと自分の死期を悟ってのことなのかもしれない。
ふとそのことに思い当たってキラは顔を歪める。自然と溢れたのは涙。
一粒こぼれ落ちたのをキッカケにぼろぼろと涙をこぼした。
キラの表情に驚いたのは隣に座っていたアスラン。アスランは慌ててハンカチをキラへ差し出した。
キラは嗚咽をもらしてティッシュを握り締めると恥ずかしさを忘れて泣いていた。泣きたい、それだけの気持ちだった。
それから数ヶ月、何もやる気が起きなくてぼーっと窓の外を眺める日々。
季節が変わっていくのをただ眺めているだけの時間が増えた。
その度にアスランは心配そうにキラを訪ねて来るようになるが、どうしてもその重い腰を上げることができないでいた。
迷惑をかけちゃいけない、そう思って前を向いたのは大学三年生の頃。
でも、時々思い出すのはフレイとの楽しい日々だった。
何もやる気力が起きない時はひたすら鍵盤に手を叩きつける日々。
忘れたくない。
苦しい。
哀しい。
気持ちがごちゃごちゃに混ぜ合わさって、不協和音が響き渡る。
この気持ちをどうすればいいのか。
行き場のない想いは苦しさを増すだけ。
どうしたらいいのか、わからなかった。
ぴちゃん、と水の音がした。雫が水面を跳ねる音。
すうっと冷たい風が頬を撫でたような感覚を覚え、キラは首を傾げた。
ゆっくりと瞳を開いて天井を仰ぐと、身体の汗が熱を呼び覚まし、関節の痛みが増す。
いつの間にか眠っていたらしい。うっすらと開いた瞳は潤む。あぁ、そうかと一人、キラは納得していた。
考えごとしていたため気づかなかったが、頭が痛いなと思った時には既に遅し。
風邪を引いてベッドに倒れこんだ、それからどれくらいの時間が経っているのだろか。
ぱさり、額から落ちたのは濡れたタオル。にわかに体温の伝わった熱が湿ったタオルに残っていた。
自分でこんなのを用意した覚えはなく、キラは思わず眉間に皺を寄せた。
「アスラン・・・・・・?」
キラの部屋を訪れるのはアスランぐらいだ。だから、とキラはもう一度息を深く吐く。
きっと寝ている間にアスランが訪れ、キラが寝込んでいるのを不審に思ったか、もしくはキラが熱を出していることに気づいたか。
どちらにしろ、いずれかの理由だろうとキラは思う。アスランはそう言う人なのもよくわかっているから。
もう一度キラは天井を仰いでいると、カチャ、とドアの開く音がした。キラはゆっくりと音のする方へと顔を向ける。
最初に目に入ったのは白い影。キラはぼんやりとした頭でそれの意味を考えるもうまく脳が働かない。
決定的だったのはその声だった。
「キラ・・・・・・?」
澄んだか細い声がキラの鼓膜を振動させる。
キラは思わず目を大きく開いてもう一度瞬きをする。
そんな、まさか。
信じられないと言わんばかりの瞳でキラは見つめていた。
「起きましたか?」
確かにそこにいたのは、キラが泣かしたはずの、傷つけてしまったはずのラクス・クラインだった。
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