迷惑かもしれないとわかっていても。
この気持ちを捨てる勇気もなければ、それ以上踏み込む勇気などないのに。
それでも私はあなたを求めている。

傍にいてはいけませんか?











でるのは歌 act.10













「な、んで・・・・・・」

キラが開口一番に口にした言葉は戸惑いの言葉だった。
ラクスはにこっと微笑んでキラの傍まで歩み寄るとその場に腰を下ろした。
キラの額に頼りなさそうに載せてあるタオルを掴むとベッドサイドにおいてある洗面器の水に浸した。
ぴちゃん、と水面を弾く音。滑り落ちた雫は波紋を呼ぶ。

「キラが熱を出しているとアスランから連絡がありました」

「あぁ、アスランか・・・・・・」

漸く頷いたキラは身体を仰向けにし、天井を仰いだ。

「丸々一日は寝ていましたわ」

「そう・・・・・・」

キラは素っ気無く答える。ラクスは最初から予想していたようで、気にする素振りを見せることはなかった。
ラクスは水に浸したタオルを掬い上げると水を絞り始めた。水飛沫がキラの頬に一粒こぼれ落ちる。
絞り終えたタオルを広げ、折りたたむと、ラクスはそっとキラの額の上に載せた。

「気持ちいい・・・・・・」

キラの言葉にラクスはほっと肩を撫で下ろす。小さな笑みが綻んでいた。

「良かったですわ。もう少しゆっくり寝てください。まだ熱はあるようですから」

そう言ってラクスは立ち去ろうと腰を上げ、一歩前に出たところでまた足を引っ込めた。
思わずラクスは眉間に皺を寄せる。
理由は明白。片方の手が熱を帯びる手に握られたから。


「あ・・・・・・」


「キラ・・・・・・?」

キラもまた、手を握られたラクスも驚きを隠せずにいた。
どうして自分の手がラクスの手を握っているのか。無意識に出した手だとしても、その理由がわからない。


「ど、うして・・・・・・?」

「私は、アスランに頼まれたということもありますが、あなたにお願いしたいことがあって来ました」


ぴくり、キラの耳が動いた。ラクスはそのまま言葉を紡ぐ。
答えはわかっているつもりだった。でも、言わずにはいられなかった何かがある。
ラクスは躊躇いながらもその言葉を口にした。

「キラ、あなたの演奏を聴いた時からずっとあなたの音が気になっていましたわ。
純粋な音、澄んだ音色なのに少し優しくて、切ないその音色に思わず泣いてしまったほど」

思い出すのは初めて出会った時のこと。泣いている姿がキラの脳裏に残っていた。

「私の歌の伴奏をして頂けませんか?」


「・・・・・・え?」


キラは信じられない、と言わんばかりの顔をしてラクスを見つめていた。
当のラクスは予想していたのか苦笑いをこぼすだけ。むしろ余裕さえ感じてしまうその表情。

「何で・・・・・・?」

「あなたの音で歌ってみたい、あなたの音を言葉にしたい、そう思ったからですわ」

そう答えるラクスには一つの理由があった。
あの日、アスランがラクスらの住むマンションを後にした後のこと。
一人、部屋に籠もって考えていたのは、キラのことだった。
自覚した時からこの想いを止めることはできないとわかっていた。そうであるなら一歩を踏み出すしかない。
あとは時とキラ自身に任せるしかなかった。
気づいて欲しかった。たとえこの想いを遂げることはできずとも、周りの想いに気づいて欲しかった。
前を見て。
喪ったかもしれないけれど、でも生きている。
ちゃんと、この自分の胸の中に。
忘れようと思っても忘れられないものなのだ。
残された者の苦しみは消えることはない。癒えることはあっても、消え去ることはない。
時間はかかる。どうしてあの時、こうすればよかった、そう言って何度も繰り返し後悔の言葉を繰り返すことだって少なくない。
でも、いつか。
いつか、気づくのだ。前を向いて歩くしかできない。過去を想うことはできても戻ることはできない。
自分に残されているのは現在(いま)を、未来に向かって歩くしかないのだと言うことに。
そうやって人は生きてゆくのだと。

「・・・・・・アスランから、聞いたの?」

キラはじっとラクスの瞳を見つめ、ラクスはその青の瞳を揺るがすことなくキラの瞳を見つめる。
フレイのこと。アスランがラクスに言う可能性のほうが高い、キラはそう思っていた。

「・・・・・・ええ」

微笑むラクスにキラはぴくっと眉尻を揺らす。

「だから、同情?」

「同情と思うのなら、そう思っても構いませんわ」

ですが、ラクスは凛とした声で言葉を継ぐ。

「あなたの音で歌いたいと思う気持ちに偽りはありません。もちろんあなたのことを好きだと思う気持ちにも」

はっきりと言葉を口にするラクスにキラは驚いた。
ラクスの気持ちには何となく気づいていた。同じような悲しみを背負っていることも、同じように淋しさを隠し持っていることも。
もちろん、自分に寄せる好意も。気づいていながらキラは無視していた。
認めてしまえば、フレイはどこにいけばいいのか。
何よりもそれに揺らぐ自分自身が嫌だった。

「・・・・・・そう」

「ええ。伴奏のこと、考えていただけますか?」

弱っている体には考えること自体億劫なものだ。キラは無言で押し黙った。
ラクスはそれ以上の言葉を求めることはせず、キラの態度を肯定と受け取る。
強引だと思われても構わない、せめて前を見ることを、消え去ることのない想いがあることを知って欲しい。
それだけだった。
キラの額に載るタオルがバランスを崩しかけていることに気づいたラクスは、もう一度載せ直そうとタオルに触れた。
生ぬるいタオルを畳み直してもう一度キラの額に載せる。キラはその動作をじっと見つめ、黙っていた。

「・・・・・・こんな優しさ、いらないよ」

ぽつり、呟くキラにくす、とラクスは微笑む。何だか子供みたいだとラクスは思っていた。
キラの主張、ラクスは一つ息を吐くとまた座り直してキラを見つめる。
瞳が想いを訴える。
看病しなくてもいい、傍にいなくてもいい、触れないで欲しい、そう全身で言っているようだった。
それでも、やはりラクスはここに来たことの意味を考えるとキラの言葉を呑む訳にはいかない。
少なくてもここにいるラクスは誰に対して優しいラクス・クラインではないことを知っている。同情ではない、愛情なのだと。

「誰のための優しさではありませんわ。あなたのためだけの優しさです」

だから、とラクスは言葉を続けた。

「この優しさはキラだけのものですわ」

あ、とキラはラクスの言葉ではっとする。フレイが言っていた言葉が脳裏を過ぎり、戸惑いの色を見せた。
『この手はフレイだけのものだから』
そう言ってキラの指とフレイの指を重ねていたフレイの姿を思い出す。
それだけで幸せだと思ったのだろう、あの声。どうしてあの声と被るなんて思うんだろう。
拒絶するのに、どうしてまた触れようとするんだろう、その度にキラはわからなくなる。
自分に近づいたところで結果なんてわかってるのに。

「君って・・・わからないよね」

「え?」

ラクスはきょとんと瞬きを繰り返した。キラの言う言葉の意味がラクスには理解できなかったらしい。
ラクスの戸惑いがキラは手に取るようにわかって顔を背けたまま苦笑いをこぼした。
突き放してもすぐについてくる。それはフレイと同じだ、とキラは思った。
だが、ラクスはフレイと違う。
その強さも、その優しさも、全部違っていた。
こんな自分のどこがいいのか。フレイもラクスもよくわからないな、とキラは一人ごちた。

「フレイとは、違う・・・・・・」

ぽつりと呟いた言葉はラクスの耳に入ったのか否か。
ラクスの息を吐く音がキラの耳に届き、ゆっくりとその唇を動かした。


「・・・・・・アヴェ・マリアは、お嫌いですか?」


ラクスの言葉にキラは黙って首を横に振る。何か諦めたようにキラは目を瞑った。
じゃあ、とラクスは澄んだ歌声を響かせる。
シューベルト作曲、アヴェ・マリア。

祈るのは願い。

歌うのは想い。



メロディーラインをさらりと流れる風のように吹き抜けてゆく。
優しい音色はキラの胸の奥を包み込んだ。
ぐっと込み上げる想いに目頭が熱くなる。枯らしたはずの涙が息を吹き返し、頬を伝う。


わからないから、人は面白いと思うもの。
簡単に叶わないから願いと言う。



祈りは優しさ。






響いてゆくのは愛情だった。




























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