この想いが何ものでも。
たとえ、忘れない想いがあっても。
それでも君を見つめていたいって想う気持ちがあることに気づいたから。
だから、傍にいて。
奏でるのは恋の歌 act.11
ふわり、浮いているような感覚を覚えて、キラは辺りを見回した。
白い雲の上のような景色。そして目の前に現れたのは赤い髪の毛の少女。
「フレイ・・・・・・!」
キラは目の前に現れた少女の名を叫んで頬に触れようと手を伸ばす。
だが、その手はフレイの頬に触れることはなかった。透けていたのだ、フレイの身体が。
「フレイ・・・・・・?」
『相変わらずね、キラ』
くすくすと笑ってフレイは見つめる。キラは訝しげな瞳をフレイに向けていた。
ふわふわと浮くフレイは綿菓子のようだなと、キラはぼんやりと考える。
『そんなことしてると、大事なもの見失うわよ』
「見失ってなんか・・・・・・」
『大丈夫。あたしはいつもここにいるから』
フレイはキラの胸を人差し指で指して告げた。
ここにいるから、と満足そうに微笑むフレイにキラはそれ以上の言葉を持たない。
『キラがあたしのことを忘れない限り、ここにいるわ。だから、安心して』
いつもキラ、あなたと一緒にいるわ。
優しい声にキラは名を叫ぶ。
叫んだところで、現実に引き戻された。
「ゆ、め・・・・・・?」
こちこちと規則正しい時計の秒針の音が静かな部屋に響いていた。
久しぶりに夢に出てきたフレイの姿はあの頃と変わらない。むしろ亡くなる一、二年ほど前の姿に近かった。
今頃どうして出てくるのか、キラは眉間に皺を寄せて考える。楽しそうに笑うフレイの姿を見るのはとても嬉しかった。
まだ高揚感が消えない。消えないのと同時に胸の奥にちくんと痛むものが生まれる。
会えて嬉しいはずなのに、どうして素直に嬉しいと思えないのかわからなかった。
笑っていた。いつもどこかいたずらを仕掛ける子供のような瞳を持っていたフレイの瞳。
成長するにつれて少しずつ憂い、微笑む表情もあったけれど、でもあの笑みは楽しそうだった。
「願望、なのかな・・・・・・・・・」
夢は人の願望を現すという。だからなのかもしれないとキラは思っていた。
フレイに会いたい、そう思っているのが夢に現れたのかもしれない。
『大事なもの見失うわよ』
フレイの忠告。一体何を、と思うが何となくわからないでもなかった。
『大丈夫。あたしはいつもここにいるから』
胸を指差したフレイの表情はとても穏やかだった。
ここにいる、そう思うだけで安心できるような気がした自分にも苦笑いをこぼした。
フレイはわかっていたのだろうか。
自分の迷いを。
差し出された手を重ねて歩いていけたらと思ったことを。
「男なのに情けないって思う、フレイ?」
キラのひとりごとは朝の光にかき消される。熱が下がってすっきりとした気分でベッドから起き上がった。
ピアノを弾きたい、キラの脳裏に浮かんだのはその言葉だけ。
お腹がすいてるなとは思いながらも、弾きたいと思う衝動には勝てない。
ドアを開けて真っ先に目に入ったのは大きなグランドピアノ。よくグランドピアノに寄りかかっていたフレイの姿が思い浮かぶ。
キラが起きてくるのに気づくといつも嬉しそうに赤い髪を揺らして駆け寄ってきていた姿はもうない。
でも、ここにいる。
キラの胸の中で生きているのだと思えば、あの頼りない気持ちもどこかに吹き飛ばす勢いだった。
『キラ』と呼ぶ声が好きだった。
その笑顔も好きだった。
幸せにしてあげたかった。
一度は封印したその楽譜をキラは棚から取り出して、譜面台の前に置いた。
閉じていたピアノの屋根を上げ、突上棒で固定するとイスに座る。
ふぅっと大きく息を吐いて、目の前にある楽譜を見つめた。
シューベルト作曲、『アヴェ・マリア』と記される譜面を見つめ、キラは白と黒の鍵盤の上に手を載せる。
ハンマーが弦を弾き、曲は手によって音を奏で出した。
アヴェ・マリアの音色は部屋いっぱいに溢れてゆく。
どんな答えを言われるのかわからなかった。断られるかもしれないと思う気持ちは半数を占める。
もう半数は迷いによってかき消された。だが、言った言葉に後悔はない。
ラクスは自宅に帰ってくるなり、夕食の準備をしているカガリに抱きついて小さな声で「言ってきましたわ」と告げた。
ラクスがアスランに呼ばれてキラの家に行く前に、カガリはラクスの覚悟を聞いていた。
どうなるかわからないけれど、と言っていたラクスを快く見送ったのは他ならぬカガリだ。
ただ一言、「おかえり」とカガリが言うとラクスは小さく頷いていた。
それから数日後、ラクスの所属する事務所がキラの所属する事務所に申し出をしたのだと言う話を聞いたのが昨晩のこと。
その結果が出るのはいつになるかわからないけれど、と言うラクスの瞳に迷いはなかった。
却ってすっきりしたのだろう。
「ラクス」
「今は黙って待つしかできないことぐらいわかっています。レッスン、行ってきますわね」
「あぁ、頑張ってこいよ。コンサートも楽しみにしてるから」
「ええ。もちろんアスランの分もチケットお取りしますわ」
一ヵ月後に控えるラクス・クラインのコンサートがある。微笑むラクスにカガリはとびきりの笑顔で見送った。
レッスンルームに着くとラクスは軽く羽織っていたカーディガンを脱いで鞄の上にのせた。
楽譜を取り出してピアノの譜面台の前に置き、カバーを外して白と黒の鍵盤を見つめるとその上に指を置いてポーンと音を鳴らす。
マリューがくるまでまだ三十分は余裕ある。譜面をさらいながら声を響かせた。
弾きながら歌うと言うのは難しい。
今回のコンサートでは弾き語りを入れよう、と言うことになり、ラクスはその練習に追われる。
自分の発表している曲の中にある『Rhapsody in rain』を弾き語りしよう、と言う話でまとまったのはこのコンサートが決まった直後のこと。
わりとラクスが発表している曲の中で評価の高いものだった。
だが、弾き語りというのは難しい。ラクスが弾きながら歌っていると、音が閊えた。
「また同じところで間違ってしまいましたわ」
譜面でも注意をされている部分でまた閊えたことにラクスは口を尖らせる。
きっとこんな姿見られたら、恐らく子供みたいだ、と言われても仕方ないだろう。
「どうしてここを間違えてしまうのかしら」
ぶつぶつと呟くラクスは譜面と鍵盤に集中しすぎていて、その気配すら感じ取れずにいた。
いつもならば気づいているだろう。だが、今は譜面に集中しっぱなしだ。
「そこの指の番号を変えるといいよ」
背後に誰かいるなんて思わなかった。ましてやそれが見慣れた姿であってもだ。
ラクスとは違う低い声がアドバイスをする。ぎょっとしてラクスは振り返った。
そこにいたのは、一週間ほど前、熱にうなされていたはずのキラ・ヤマトだった。
「どう、して・・・・・・?」
「君に言われたお願いの答えを言いに」
キラは素っ気無く答えると、高音域の鍵盤の前に立って、ポーンと音を鳴らした。
ラクスはキラの言葉に緊張を覚え、ごくりと喉を鳴らす。まさかこんな早く解答を貰えるとは思っていなかった。
ましてや直々に言ってくるなんて誰が予想しただろう。てっきりラクスは事務所伝いだと思っていた。
「一つだけ聞きたいんだ」
「何で、しょうか」
「君は『アヴェ・マリア』が好き?」
「え・・・・・・えぇ、好きですが・・・・・・」
ラクスは訝しげな瞳でキラを見つめる。その答えに何の意味があるのか解りかねたからでもあった。
「そう。なら、いいや」
何がいいのか、ラクスは一人胸の内で突っ込みながら紫水晶の瞳を見つめた。
高鳴る胸の鼓動は緊張の糸を張らせ、二人の間に微妙な空気を醸し出していた。
キラは瞳を閉じて息を吐くとゆっくり口を開いた。
「・・・・・・引き受けるよ、ラクス・クライン」
「・・・・・・え?」
え、って何、とくすくす笑いながらキラはラクスを見下ろした。ぽかんと間抜けな面を晒すラクスの姿に面白さは増す。
キラは噛み殺しながら笑うことを止められずにいた。誰があのラクス・クラインだと思うだろう。
いつも凛として時折優しい笑顔を浮かべて、慈悲を示すその歌声の持ち主だと誰が思うのか。
そんなラクスの表情を知る者は少ない。
「それともいらない?」
「い、いえ! そんなことはありませんわ。ただ、驚いて・・・・・・」
ラクスは慌てた声を立てる。キラはラクスにイスから避けるように促す。
ラクスはその意味を汲み取ってイスから腰を上げるとピアノの傍に立った。
「僕は、君の『アヴェ・マリア』、好きだよ」
想いを唇に綴るキラにラクスは泣きそうになった。顔を歪めて必死に泣くまいとこらえる。
今はもう、この言葉だけで嬉しいとラクスは思う。
前を見つめることを選んだキラの意思が嬉しかった。
キラは鍵盤の上に指を置くとゆっくりその音色を紡ぎ始め、ラクスはお腹の上に左手を置いてその澄んだ歌声を響かせる。
初めて合わせた時と違うその声にキラは瞳を閉じて音を胸に刻んだ。
奏でる音色はとても優しい。
時はゆっくりと過ぎてくれることはない。むしろ早く経ってしまうものである。
キラが伴奏を引き受けてくれた日からすぐにお互いの事務所で契約書が交わされた。
決まるとすぐに音合わせなどやることが山積みで、あっという間の一ヶ月。
手始めはラクス・クラインのコンサートだった。
音楽雑誌さらには女性雑誌など、キラとラクスのセンセーショナルな発表に誰もが驚いた。
予想していなかったコンビネーション。
各誌をにぎわせ、コンサートチケットは一時間で完売、更には公演数を増やすなど異例とも言える反響にキラもラクスも驚いたほどだ。
そして当日、朝からばたつきながらもラクスのマンションに迎えに来たアスランの車にラクス、カガリ共々乗ると会場へと向かう。
アスランとカガリはラウンジで時間を潰すと言って別れた後、キラと共にラクスはリハーサルに挑み、開演十分前となった。
「緊張、してる?」
舞台袖でキラがラクスへ尋ねる。ラクスはゆっくりと首を振った。
「緊張してるというよりも、わくわくしていますわ」
くすっとラクスは微笑んで紫水晶の瞳を見つめる。紫水晶の瞳は青の瞳を見据えて言葉を口にした。
「僕もだよ」
二人視線が再び合うとどことなく笑みをこぼす。
この二人の雰囲気はとても優しく、見ている周りの者達が思わず赤面したくなるほどだった。
開演のブザーが鳴り、だんだんと辺りが暗くなってくる。キラは手を差し出し、ラクスはその手の上に自分の手を重ねた。
「行きましょうか、お姫様」
「ええ、行きましょう」
アナウンスが流れ、合図が送られるとキラとラクスは歩き出す。
一台のグランドピアノのイスにキラは座り、ラクスは中央に立つとキラと瞳を交した。
キラは大きな手から音を奏で、ラクスはその音にのせて優しい歌声をマイクに通してホール全体に響かせる。
重なる音色に誰もが酔いしれた。
祈りを込めて、ラクスは歌う。
キラはその音色にピアノの音色を重ねた。
紡がれるのは願い。
奏でるられるのは恋の歌―――。
終
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