どきどき。わくわく。
そわそわ。
高鳴る鼓動は日増しに強くなっていく。
それは、
あなたにとっての大切な日。
そして乙女の勇気が試される日なのだから――――。
「え?アンジェってば、バレンタインデーで誰かにあげたことはないの?」
「ええ。特にいなかったんですもの」
友達であるサリーの素っ頓狂な声にアンジェリークは首を傾げて見つめていた。
そんなに驚くことなんだろうかと不思議そうにサリーを見つめる。
「・・・・・・で、何だったかしら。バレンタインデーとレイン博士の誕生日が一緒だということだったわね」
「そうみたいね」
「そうみたいねって・・・・・・、まぁレイン博士の誕生日を把握しているのは当然だとしても、
バレンタインデーに何かをあげたことがないっていうのはびっくりだわ。そしてあげる気はなかったってことが驚きよ!」
「だって、レインの誕生日の方が大事じゃない」
「でも、バレンタインデーも大切よ。何せ女性の勇気が試される日なんだから!愛を伝えるのよ、好きな人に!」
力を込めて話をするサリーにアンジェリークは苦笑いを浮かべていた。
そもそもレインの誕生日プレゼントに悩んでいると言ったアンジェリークだったのだが、
レインの誕生日があのバレンタインデーと一緒だということが判明した途端、サリーの目の色が変わった。
バレンタインがそんなに大切なのかと問うアンジェリークに両目を見開いてサリーは力説をし始めたのだ。
この日は大切なのだと言われ、アンジェリークは呆気にとられながらもただただ首を縦に振るだけ。
正確に言えば、サリーの勢いに負けて言葉をうまく発することができなかったと言った方が正解だった。
「誕生日プレゼントと一緒にバレンタインのプレゼントも用意するのよ!」
「え?バレンタインデーも?」
「当たり前じゃない。レイン博士とは恋人同士なのよ。ここであげなくてどうするの?」
「どうするって・・・・・・」
「サリー、そろそろ落ち着いて。アンジェリークが困っているわ」
涼しい顔をして紅茶に口をつけていたハンナが口を開く。
ああ、とサリーは我に返ったのか落ち着きを取り戻すために一度こほんと咳をする。
「つまり、この日はアンジェリークの愛が試されていると思うの」
「愛を?」
「ええ。愛を、よ」
「愛・・・ねぇ・・・・・・」
にわかに頬を染めてアンジェリークは手元にあるビスケットを一口口にした。
ぱくりと口にしたビスケットはほのかな甘い香りが口の中で広がってゆく。
「さぁ、アンジェ。レイン博士に愛を示しましょう!」
「ええっ!?ちょ、ちょっと、サリー!?」
行くわよ、とサリーに促され、アンジェリークとハンナは腰を上げて部屋を後にする。
「アンジェ、ここは素直に従っておくべきだわ」
「ハンナ・・・・・・」
「まぁ、サリーの言っていることも一理あるのよ?」
「愛が試されてるってこと?」
「それだけじゃないわ。アンジェはレイン博士の笑顔が見たいのでしょう?」
言い当てられてアンジェリークは頬を赤く染めると無言で俯いた。
恥ずかしさのあまり変な顔をしているという自覚はアンジェリークにもある。
そんなアンジェリークの仕草がサリーにはかわいくて仕方ないのだろうとハンナは推測していた。
「ほら、二人とも。早く行くわよー」
「はいはい、今行くわ」
「ちょっと待ってよ、サリー!」
こうなるとサリーを止める手段がないことは二人とも理解していたため、無理に抵抗することなくただただ流れに身を任せるのだった。
しん、と静まり返る夜の遅い時間。
アンジェリークはただ一人もくもくとレシピを見ながら作業をする。
ハンナから貰ったレシピは『トリュフ』。比較的難しくないものを選んだというハンナに感謝しながら、アンジェリークは静かに泡だて器でボールの中身ををかき混ぜていた。
甘くとろけるような香りが部屋を満たし、アンジェリークはその匂いに軽く酔いしれる。
チョコレートの香りと、ブランデーの香りが絶妙なハーモニーを奏でていた。
「ええと、あとは・・・・・・」
ぶつぶつ呟きながらアンジェリークはレシピを見つめて、半日前のことを思い出していた。
それはサリーとハンナとで街に出てレインの誕生日プレゼントを吟味していた時のこと。
こんなのはどうかしら、と手に取ったのは『ペアマグカップ』だった。
お手ごろな価格でシンプルな柄のもの。まじまじとペアのマグカップをアンジェリークは見入る。
「ねぇ、アンジェはレイン博士のどういうところが好きなの?」
突然話を振られ、アンジェリークは瞬きを数回するとハンナを見つめて言葉を返した。
「な・・・・・・何を、いきなり・・・・・・」
「あら良いじゃない。ねぇ、サリー」
「もちろんよ。私も気になるし」
あ、でも、とサリーは楽しそうなものを思い浮かべているような瞳でアンジェリークを見返し、
アンジェリークは小首を傾げてサリーの言葉に耳を傾ける。
「かっこいいところとか、優しいところとかありきたりなのはダメよ。アンジェの言葉で答えてちょうだい」
「ええっ!?」
「ほら、アンジェ」
ハンナに促され、アンジェリークはしばし考えるとそうね、と小さな声で呟きながら言葉を続けた。
「不器用なところ、照れ屋さんなところ・・・・・・かしら」
「それってほめるところなの?」
「うーん。ほめるとはちょっと違うところなんだけど、でも私にしか見せない顔が多いの」
自惚れかも知れないけど、そう言いながらアンジェリークは小さく笑ってその先を口にする。
「とてもね、シャイなの。かっこよく見せようとかいろいろと考えているんだと思う。でも失敗する時もあるのよ。すっごくバツの悪そうな顔をするんだけど、それがまたかわいいし、そんな顔したあとのレインってぎゅっと抱きしめたくなるのよね」
俄かに頬を紅く染めて、アンジェリークはレインへの想いをかみ締めた。
ふふっとサリーもハンナも微笑みながらアンジェリークを見つめる。
アンジェリークの柔らかな表情に二人は心を和ませていた。
「のろけね」
「まぁ、仕方ないわ。でもそんなアンジェリークが可愛いもの」
「ふ、二人とも・・・・・・」
アンジェリークは苦笑いを浮かべながら、でもどこか楽しそうに笑うと手に持つマグカップを見返した。そして首を縦に振るとサリーとハンナへ視線を戻す。
「ハンナ。サリー」
「なぁに、アンジェ」
「どうしたの?」
恥ずかしいとか嬉しいとか、気持ちがふわふわ浮いているような錯覚を覚えながらアンジェリークは告げる。
「私、決めたわ」
やけに声が響いたような気がしたのはきっと気のせい。
「喜んで、くれるかしら・・・・・・」
ぽつり、呟いてアンジェリークははっと我に返る。
呟いた言葉の先に見えてしまった不安を今更ながらに痛感してしまったのだ。
レインの喜ぶ顔が見たい、その一心でアンジェリークは誕生日プレゼントとバレンタインデー用のチョコレートを用意した。
もうすぐでできあがりそうだと舞い上がった反面、喜んでくれるかどうかの不安に駆られるなんて。
アンジェリークは苦笑いをこぼして動かしていた手を止める。
止めていた手の先にある手作りのトリュフをじっと見つめると、再び手を動かした。
チョコレートでコーディングされたトリュフを冷蔵庫の中へと入れ、パタンと鳴った音と共に小さな息を吐く。
あとは冷やして固めるだけだった。調理台の上の散らかった材料を片付けながらアンジェリークは言葉をこぼす。
「喜んでくれるといいな」
先のことなんてわからないけれど、ただ喜んでくれればそれで幸せだった。
こぼれ落ちた笑みはどことなく不安と楽しみとが交差した、複雑な表情だったことをアンジェリークは知らない。
その一言を聞くまでは。
「おや、どなたかと思えばアンジェリークでしたか」
「え?」
アンジェリークが振り向いた先にいたのは、この陽だまり邸の主であるニクスの姿だった。両目を見開いてアンジェリークはニクスをじっと見つめる。
「ニクスさん・・・・・・」
「お菓子を作っていたのですね」
「あ、はい」
「キッチンから光が漏れていたものですから、気になってしまって。マドモアゼルの気分が削がれてしまったらすみません」
「いいえ!そんなことありません。むしろ夜遅くに使ってしまってすみませんでした」
ぺこりと頭を下げるアンジェリークにニクスの瞳が細くなると首を横に振った。
穏やかなニクスの表情にアンジェリークはほっと息を吐く。
「・・・・・・レイン君が喜ぶと良いですね」
「えっ!?何でレインだって思ったんですか?」
心臓が跳ね上がるかと思うくらいアンジェリークは動揺をしてしまい、ニクスをまじまじと見つめた。
ドキドキと心臓の音が耳元で鳴っているように感じるほど音が近い。
「明日はレイン君の誕生日ではありませんか?」
そうでしょう、マドモアゼル。
ニクスはレインの誕生日を覚えていた、そのことにほっと肩を撫で下ろす。
「そうなんです。明日はレインの誕生日だから・・・・・・」
バレンタインデーも兼ねて、とは言えずアンジェリークは微笑みで心の答えを隠した。
「だから頑張って作っちゃいました」
「それは良いですね。きっとレイン君は喜びますよ。あなたの作ったものならば尚のことです」
「そうだと嬉しいなと思います」
きっと大丈夫ですよとニクスは言葉を口にして、ではとキッチンを後にした。
アンジェリークはキッチンの窓の外から見える大きな月を仰ぎ見る。
明日はどんな日になるだろう、そう思ったら何だか寝つけそうにないなと苦笑いを浮かべていた。
そうして夜はアンジェリークの想いと共に更けてゆく。