朝早く起きてアンジェリークはキッチンに誰もいないことを確認すると、最後の仕上げに取り掛かった。ラッピングをして、袋に入れて、メモ書きを記して再び冷蔵庫の中に入れるとアンジェリークは安堵のため息を吐く。
喜んでくれるかどうか、不安な気持ちと共に心臓の音はやけに大きく鳴り響いていた。
「アンジェ?どうかしたのか?」
ひょい、と顔を出したのはレインで、アンジェリークはびくっと身体を強張らせながら振り向いた。まさかレインの方から声をかけてくるなんて、しかも何も今手元に用意をしていない状態で、そんな状況になってしまったアンジェリークは戸惑いの色を浮かべる。
「レ、レイン・・・・・・ど、どうしたの?」
「何か物音がするなと思ったからさ。で、どうかしたのか、アンジェ」
「あ、えっと、あの・・・・・・レイン、あのね、私」
「アンジェ?」
ぎゅっと手を握り締めてアンジェリークはマラカイトグリーンの双眸を見上げた。
キッと真っ直ぐな眼差しがレインの瞳を射抜き、ごくりとレインは喉を鳴らす。
今、伝えたい言葉。
あなたにどうしても話をしたいこと。
―――何よりもあなたの笑顔が見たい。
「お願いが、あるの」
「お願い?」
「あのね、部屋でちょっとだけ待っていて欲しいの」
首を傾げ、眉間に皺を寄せるレインは青の瞳を見つめていた。
「レインに渡したいものがあるから・・・・・・ダメ、かしら?」
真剣な瞳で訴えられればレインとて断れるわけがない。
いつだってレインの中心にはアンジェリークが微笑んでいるのだ。
「アンジェ・・・・・・わかった、部屋で待ってる」
ぽん、とアンジェリークの頭に手を載せて小さく微笑むとレインは踵を返してキッチンを出た。
アンジェリークは息を小さく吐き捨てると冷蔵庫の中にあるそれを取り出し、レインより少し時間を置いてからキッチンを後にする。
自分の部屋まで駆け足で戻ると隠し入れていた包みを取り出し、大きな紙袋に入れ替えると鏡台の鏡を見つめてうん、と頷いた。
服装の乱れも、髪の毛の乱れも今のところ見えない。
大丈夫と言い聞かせて、落ち着かない胸の音に耳を傾ける。
ただただ緊張の色が濃い顔を変えるために鏡の中の自分に微笑みかけた。
「頑張りましょう」
にこっと笑ってアンジェリークは自分の部屋を出ると、真っ先にレインの部屋へと向かい、部屋の前に着くと大きく息を吸ってコンコンと二回ドアを叩いた。いいぞ、と返したレインの言葉よりワンテンポ遅れてアンジェリークはドアのノブに手をかけるとレインの部屋の戸を開けた。
アンジェリークはスカートの後ろで袋を隠しながらレインを見つめると、レインもまたアンジェリークを見つめていた。
「ねぇ、レイン」
「うん?」
「今日は何の日か知っているかしら?」
コツ、コツとアンジェリークのブーツの踵の音がレインへと近づく。
「今日か?」
首を傾げて何の日なのかを思い出そうとレインの脳がフル回転しているのだろう。
だが、思い当たる節がないのか首を傾げたままレインの口はへの字に曲がっていた。
「覚えていないの?」
アンジェリークはレインの傍に近寄ると耳元で囁いた。
「あ、アンジェ・・・・・・?」
俄かに頬を紅く染めてレインはアンジェリークを見つめる。
その瞳がやけに熱っぽくてレインの心臓は揺れたまま、熱だけが頬に集まっていた。
「自分のことになるとすっかり忘れてしまうのね、レインって」
「自分のこと?」
くす、とアンジェリークは微笑み、持っていた紙袋をレインの前に置いた。
意味がわからないと顔には書いてあって、ただただそんな不思議そうなレインの顔をアンジェリークは楽しそうに見つめる。
「Happy Birthday Rayne」
吐息がかかる距離でアンジェリークはレインの首に腕を巻きつけて呟く。
ああ、とレインは納得したのか表情がやわらかくなった。
「そうか、今日はオレの誕生日か」
「そうよ、レイン。忘れちゃったの?」
「忘れてたよ。2月14日だったことも、自分が誕生日だったことも」
レインらしいと言えばそれまでだが、アンジェリークは苦笑いを浮かべて言葉を続ける。
「それとね、レイン」
「うん?」
耳元でアンジェリークは想いを口にする。
それは甘く優しい、あたたかな言葉。
「大好きよ、レイン。あなたが生まれてきてくれて、あなたと出会えて、私は幸せだわ」
頬にキスを落としてアンジェリークは耳元から離れると瞬きを忘れたレインの姿があった。思わずぷっとアンジェリークは笑みをこぼす。
「今日はね、レインの誕生日でもあるけれど女の子が一番頑張る日なの。
女の子が好きな人に大切な言葉と想いを伝える日なのよ」
「アンジェ・・・・・・」
呆然とアンジェリークを見つめるレインに柔らかな瞳が答えた。
「世界で一番レインが大好き。レインがいるから私は何でも頑張れるわ」
だからね、とアンジェリークは言の葉を紡ぐ。
―――ずっと私の傍にいて。
アンジェリークの言葉と共に優しいキスが唇に触れた。
それがレインからの答え。
「今日はオレの誕生日でもあると同時にバレンタインデーだったんだな」
「ええ、そうなの。私すっかりバレンタインデーだってこと忘れてて」
苦笑いを浮かべてアンジェリークは舌をぺろっと出していた。
「私、レインに出会うまで本当に好きだと思う男の人って言うのがわからなかったわ。
確かにベルナール兄さんは素敵な人だけど、レインの好きとは違うから」
「アンジェ・・・・・・」
「でも、レインってもてそうだわ。財団にいた時もチョコレート貰っていたんじゃないの?」
「あー・・・そうだったかもしれないな。でもオレは頭の糖分を養うものとしか認識してなかったから、
片っ端から食べてるだけだったし」
「・・・・・・それってメッセージとかは丸っきり無視ってこと?」
「メッセージあったのか?」
きょとんと緑色の双眸が大きくなる。
アンジェリークは小さなため息を吐いて少しばかりチョコレートを渡した女性達に同情をしてしまった。
「・・・・・・まぁ、レインのことわかってて贈った可能性もあるかもしれないし」
こういうことには無頓着だということをわかっているだろう。
それはアンジェリークとて何となく理解していることではある。
ただでさえ自分の誕生日もバレンタインデーだって忘れていたレインだから。
レインは袋の中から小さな箱と大きな箱を取り出して包みを開ける。
それをアンジェリークはレインの膝の上に座り、抱きしめられながらレインの動作を見つめる。
大きな包みの中から顔を出したのはペアのマグカップセット。
「どうせなら一緒に使いたいなって思って」
ダメかしらと問うアンジェリークにレインは首を横に振って言葉を口にする。
「オレもアンジェと一緒に使いたいさ。一緒にいる時に使おう」
「ええ、そうしましょう」
「で、こっちは・・・・・・」
小さな包みを広げるとそこから顔を出したのはトリュフだった。
「これは特別仕様よ。皆にも作ったの。感謝の意味で作ったのは後で皆さんに配ろうと思って。で、レインだけはちょっと変えたのよ」
ビターとミルクと、ナッツをふんだんに使ったトリュフを一つ口へ運んだレインは顔を綻ばせた。
「うん、美味い」
「本当?」
「ああ。美味いよ。アンジェリークが作ったものは他の何よりも美味い」
「それなら良かったわ」
ぎゅっとアンジェリークを抱きしめながらレインは感謝の言葉を形良い唇で綴る。
「愛情たっぷりだからな」
「もう、レインってば・・・・・・」
アンジェリークの瞳にキスをするレインに対して、くすぐったそうにアンジェリークは微笑んだ。レインへの想いがたくさん詰まったプレゼントは何よりもレインを満たしてくれる。
「アンジェ」
「なぁに、レイン」
スイーツよりも甘い言の葉が二人を包み込む。
『愛してる』
だからずっと傍にいるよ。
終