数日経ち、望美は一向に元の世界へ戻れずにいた。
寂しいと少し思うも、さほど寂しくならなかったのは敦盛がいたから。
気にかけているのだろう、幼い敦盛は望美の傍にいつも寄って来た。
「私と一緒にいて家の人に何も言われないの?」
不思議そうに尋ねた望美の顔をちらりと敦盛は見つめ、いいや、と言葉を返す。
「そとにあそびにいっているならいいといわれた」
元気が良いのは何よりだと一言付け加えられた敦盛は小首を傾げたのだが。
もともとこの地に来たのは敦盛の身体が弱いせいもある。
ゆかりのあるこの地であるなら敦盛の身体の弱さも鍛えられる、そう思ったのかもしれない父がこの地へと敦盛を赴かせた。
「そっか。ごめんね、私がここにいるから」
「そんなことはない・・・・その、たのしい、って思ったから・・・・」
しどろもどろに敦盛は言葉を伝えようと必死になる。
くす、と笑いながら望美は幼い敦盛の横顔を見つめていた。
あの日の敦盛を重ねながら望美は遠くを見つめて、小さく息を吐く。
『その、神子と一緒にいるのは・・・悪くない』
照れながら言う敦盛に望美は小さく笑ったのを覚えている。
もちろん同じ人物であるのだからもちろん同じ仕草をするのは当然で、だからこそ望美の胸に突き刺さる。
あんな顔をさせるために私はあなたを救いたいと思ったわけじゃない。
あなたに笑っていて欲しかったから、私は。
わがままなのは私で、あなたが自分の身を代えて私を助けたいと思わなくっていいのに。
何で、こうなるんだろう。
黒く渦巻いた風の中に吸い込まれていった敦盛。
そして敦盛が打ち破ったのだろうその後には静かな波だけが残った。
敦盛の姿はどこにもなかった。
「のぞみ?」
どれくらい呆けていたのだろうか、敦盛に名を呼ばれるまで気づかなかった。
「あ、ごめんね」
「のぞみは、どうしてなくのだ?」
「え?」
そっと幼い敦盛は望美の頬に濡らす雫を指の腹で拭った。
そこで初めて望美は自分が泣いていることに気づく。
「・・・・・・好きな人がね、いるの」
小さく唇を動かして望美はぽつりと呟いた。
「すきな、ひと?」
「もうとどかないところにいるの」
「・・・・・・・・・」
「でもね、会いたいんだぁ」
好きだから、どうして自分はあの時止められなかったのだろうと。
「私、守ってなんて一度も言ってない。なのに、どうして?・・・・・・どうして・・・」
「のぞみがすきだから」
望美の問いに答えたのはあの横顔よりも少し幼い敦盛自身。
え、と望美はまじまじとその横顔を見つめる。
「そのひとはのぞみがすきだから、だとおもう」
望美は何も言えずその横顔を見つめていた。
それはあの日の敦盛の答えなのかはわからない。でも重なった影は確実に答えを言葉にして伝える。
泣き笑いのような望美の表情に敦盛は驚きながら望美を見つめていた。
「の、のぞみ?」
ああ、そうか。
私が守りたいと、あなたの傍にいたいと、あなたがいてくれたらそれだけで幸せだと思ったように。
敦盛も自分に対してそう思っていたんだろうか、と望美はまるで氷の中に閉ざされていた答えを溶けた水の中で救った。
流れ出す想い、その中にあったたった一つの答え。
それは自分と同じ答えだったということ。
私はあなたが好きで。
あなたは私のことを大切にしてくれていた。
それは傍にいた月日の中の端々から受け取ることができた。
いつも望美を気遣っていてくれていた敦盛。
それは自分も同じように敦盛に気遣っていたように。
望美はたまらず幼い敦盛を抱きしめる。
幼い敦盛は黙って望美の腕の中で抱かれていた。
心地よい音と共にあたたかなぬくもりを大切にして。
一瞬の風が望美の頬を駆けて行く。
それは予感。
逆鱗が小さく光り、望美はそっと敦盛を手放し、まっすぐな瞳を見据えた。
桜の花びらが風と共に空へと舞い上がるのを見つめながら望美は空を仰ぐ。
「私、行かなきゃ・・・・・・・」
「どこへいくのだ?」
私は帰らなきゃいけない。
まだ敦盛は消えたと決まったわけじゃない。
私は、あなたにもう一度会いたい。
「ごめんね。でも楽しかったよ。ありがとう、敦盛さん」
ぎゅっと望美は逆鱗を握り締めて幼い敦盛の顔を見据えた。
敦盛はそれが別れだとわかったのか、表情を曇らせる。
「もうあえないのか?」
切に訴える敦盛の表情を見つめ、望美の心はしばし揺れた。
でも、望美が本当に会いたいと願うのは目の前にいるこの幼い敦盛ではなくて。
望美は敦盛の言葉に小さく首を横に振った。
「もう少し時が経ったら会えるよ。それまで、ばいばい」
それが望美が幼い敦盛へ告げた最後の言葉。
望美は再び時空の中へと引き込まれ、幼い敦盛を残して旅立っていった。
桜の花吹雪が一面に舞い落ちるのを敦盛は見つめる。
消えた少女、敦盛を見つめる瞳がひどく優しくて、敦盛はどこかあたたかい気持ちになれた。
その少女はもういない。
「のぞみ・・・・・・・」
幼子は桜の花びらを見つめて空を仰ぐ。
何もなかったかのようにそこには人ひとりの姿はどこにも見当たらなかった。
敦盛は空をもう一度見つめ仰ぐ。
敦盛に優しく微笑んでくれた少女はもうどこにもいない。
この数年後敦盛は成長し、望美に出会うことになるのだが、それはまた別の時空のこと。
時空から引き戻され、望美はそっと厳島の地に足をつけた。
ざざん、と鳴る海原の音に望美は瞳を細める。
それがわかっていたのか、望美の姿を見つけたヒノエと朔は少し怒りつつも望美の無事を知って安堵したのだった。
望美はそこに敦盛の姿がないことに軽く肩を落とすも、以前より暗い表情をすることなく、もう一度海を見つめる。
「敦盛さんはいるよね?」
望美の言葉に黙ったままヒノエの手が頭を撫でる。
「もちろんだろ」
望美は小さく頷いてヒノエの言葉に答えた。
「あの日のことは今でも覚えているんだ」
望美が時空から戻ってきた数日後、敦盛は望美の元へと戻ってきた。
結わえていた髪の毛を下ろしたままで、あの日と変わらぬ姿で望美を見つめていた敦盛の姿。
望美は敦盛に抱きつき、しがみついてその存在を確かめる。
敦盛はそっと優しく望美の耳に言葉を落とした。
『ただいま』、と。
それは望美が欲しかった言葉の一つだった。
望美と敦盛は梶原邸の縁側で花や空を見つめながら言葉を交わす。
桜の舞う日に起きた不思議なこと、それを敦盛は覚えているのだと言葉を口にした。
「言っていることの意味はあの時分かりかねたのだが、あれは私のことを言っていたのだなと今になってわかる」
自分が選んだ道、それに対しての望美の本音。
気づいたのは叔父である清盛との戦ったあの時、黒く渦巻く竜巻を見た時の望美の表情を見て気づいた。
あの涙は自分に対してのものだったのだと。
泣かせることになっても自分は望美を守れるのなら、皆を守れるならとやはりその道を選んだ。
きっと望美は気づいてくれる、そう思って。
「幼い敦盛さんに会って、私がどうしてあの時空に飛ばされたのかよくわかりました。
あの日の敦盛さんが口にした言葉、それが今の敦盛さんの答えなんだって、それを知るためなんだって」
「そうなのかもしれないな」
敦盛は素直に頷く。望美はあの日と変わらぬ空を見つめ、仰いだ。
幼い敦盛の顔を空に描いて望美は小さく呟く。
あなたに会えてよかった、そう思うよ。
小さな言葉で綴られた優しさの奥に隠された想いを胸に、望美は敦盛の横顔を見つめた。
遠き過去に見た久遠の夢。
花の光に隠された想い。
やさしさに触れながら望美と敦盛は共に未来へと歩み始めていた。
終