06. この手を
離さない


「・・・・・・なぁ、奈瀬」

彼女の名を呼ぶとその本人は機嫌悪そうに。

「悪いのは伊角くんでしょ!」

と言って譲らない。
譲らないのはいい、自分でも悪いってわかっているから。
だからって。
その仕返しがこれなんだろうか。
確かに、誰も見てない。
もちろん自分の部屋だからだが。
ぎゅっと彼女の腕が自分の背中を締め付ける。
いつもとは逆の。
彼女からの抱擁が、その仕返しだった――――。



事の起こりはデートの時間に2時間も遅れるという失態だった。
単純な話、寝坊が原因なのだが。
前日まで夜遅くまで棋譜を並べていたのが悪かったと心の中で舌打ちする。
彼女は結局出かけるのはやめにして俺のうちに行きたいといった。
だから、了承したのだが。
その後からは文句の言葉を並べるとぎゅっと抱きしめられた。
一向に離れようとしない奈瀬をたしなめると、先ほどと同じ答えを返す。

「いいでしょ!これくらい。何、文句ある?」

そう言ってずっとぎゅっと抱きしめたまま。
むしろ心臓がドキドキ言っていて落ち着かない。
でも、このドキドキする感じは嫌ではないのだから困ったものだと思う。
はぁと一つため息をつくと、今度は自分が彼女のその華奢な背中に手を廻した。
自分の行為に驚いたのか、彼女は少しびくっと身体を強張らせる。
そうしてぎゅっと抱きしめた。

「もう、伊角くんってばいきなりだからびっくりするじゃない」

「それは奈瀬だって一緒だろ?」

「いいじゃない。これくらいは。誰かさんが遅刻したおかげでね・・・・・・」

不意に彼女の言葉を紡ぐその唇を塞いだ。
んっと時折漏らす言葉は小さくてよくは聞こえない。
暫くすると唇を離す。

「もう・・・・・・伊角くんのバカ」

真っ赤な顔をしてそう呟く彼女は少し恨めしげな顔をしないでもないけれど。
多分、きっと。
彼女もわかってるはずだ。

そんな抗議は通用しないし、何よりもその瞳に説得力がないことぐらい。
とりあえず彼女の機嫌を直さなきゃなと、一人小さな声で呟く。
更に背中に廻していたその腕に力が入った。

恋人達の時間はこれからなのかもしれない―――・・・・・・。








*読んで頂きありがとうございました!