最初は小さな咳をしていただけだったのに、気づけば熱を出した平日の午後。ふらふらと覚束ない足取りで上条当麻はやっとのことで家に着くと何かをする気力さえ失っていた。じわじわと汗が身体を蝕んでゆく。最後の記憶は自分のベッドに入ったところだった。
放課後になり、御坂美琴は携帯電話片手に一人首を傾げていた。いつもならメールを送れば三十分以内には返事が返ってくるのに、今日はさっぱり返って来ない。珍しい、おかしいなと些か首を傾げながら美琴は常盤台中学の校門を出た。もしかすると今は何かしらで立て込んでいるのかもしれない、若干不安を胸に抱きながら仕方なしに寮へと足を向けた。
寮に着くと玄関のドアを開ける。するとそこに土御門舞夏の姿があった。
「おお、みさか〜」
「ど、どうしたのよ?」
「今日は帰りが早いなー・・・まぁ、それは当然か」
「? どういう意味よ」
怪訝そうな美琴の表情に舞夏はおや、と表情を微妙に変化させた。
「知らないのか?」
―――それは美琴の予想しなかった答えだった。
茹だるような自分の身体の熱にはっとして上条は目を覚ました。白い天井が自分の視界に映ると、ああ、ここは自分の家かとほっと息を落とす。ゆっくりと視線を周りへ向けた上条は自分の右手に何かが触れていることに気づいて顔を向ける。そこにあったのは見慣れた少女の姿だった。
「・・・美琴?」
常盤台中学の制服姿で上条の手を握り締めながら眠っている美琴の姿がそこにあった。
あれ、いつ呼んだっけと曖昧な記憶を辿るものの答えは見つからない。ぼんやりと左手を自分の額に当てるとぴたりと何かが貼ってあることに気づいた。風邪を引いたときなど、熱が出ている時に貼るシートだ。うちにはそんなものなかったはず、と上条が考えあぐねていると小さな音が耳に届いた。
「美琴?」
「・・・ああ、起きたんだ。おはよ」
「おはよ・・・って、なんでここに美琴さんがいるでせうか?」
「んー、舞夏に聞いて。アンタが風邪引いたから早退したって」
「土御門か・・・」
「舞夏に病人食作ってやってくれって言われてたみたいだったんだけど、私がそれ引き受けたの。昼、全然食べられなかったんでしょ?」
「確かにそうだったかも・・・」
おぼろげな記憶を辿るものの、食べたという記憶はどこにも残っていなかった。恐らくそれを土御門が心配して義妹の舞夏にお願いしたのだろう。後で土御門に礼を言わなきゃな、と考え軽く息を吐く。美琴は心配そうな眼差しで上条を見つめると、握っていた手をぎゅっと強く握った。
「調子悪いなら調子悪いって朝メールくれたら良かったのに」
「・・・気のせいだと思ったんだよ」
「それでも! すごい心配したんだから・・・このバカ」
「病人にバカって・・・」
酷くない?と言いかけた言葉が喉の奥へと引っ込める。美琴は上条の手を自分の額に寄せて強く握り締めた。掴む手の強さにも驚いたが、何よりも少し泣きそうな顔をしている美琴を見て上条は言葉を失う。そんなにも心配してくれていたのか、と言う事実に。
「少しは彼女に頼れ。余計な心配掛けないでよ・・・・・・」
「美琴・・・・・・」
「私はアンタのためならなんだってしたい。手を貸して欲しいなら手助けするし、一緒にいたいなら一緒にいる。たとえ何があっても味方だって言ったでしょ? 風邪引いて辛いならそれが少しでも軽くなるように看病だってする。・・・アンタのことどれだけ大事だと思ってるのよ!」
軽く説教をされ、上条は軽く息を吐くと「ごめん」と小さな声で謝った。
付き合う前から美琴の涙は知っていたし、美琴が自分のことを大切に想ってくれていることも知っていた。でも迷惑を掛けたくないと言う気持ちから連絡することは憚られた。元々熱で体力が奪われていたため、連絡する余裕もなかったのだが、それでも何とか方法を考えれば連絡は出来たはずである。そう、今ここに美琴がいるように、人づてで伝えることだってできたはずだ。言わなかったことで逆に美琴の涙を見ることになるなんて上条は思ってもいなかった。
「アンタが気を遣ってくれてるのはわかる。風邪うつしたくないとかそういうこと考えたんでしょ。でも、アンタの風邪に私が負けるもんですか」
「そりゃお強い発言で」
「・・・アンタよりはね」
苦笑しながら美琴が言うと上条は握られている右手を握り返す。びくり、と美琴の肩が揺れたのを上条は見逃さなかった。
何だかんだ言っても美琴とて女の子。強いけれど弱い、弱いけれど強い、それが御坂美琴、常盤台中学が誇り、学園都市が誇るエースの素の顔だ。本当の美琴の顔を知っているのは自分だけ。
「ありがとな、美琴」
感謝の言葉を口にすると美琴はううん、と首を横に振った。
誰かのために何かをしたい、は上条自身に根付いているもの、それは美琴とて同じ。何が何でも傍にいてくれる美琴に感謝しながら上条は言葉を口にする。
「お前にはいつも助けられてばかりだよ」
「今頃わかったか」
なんて、と小さく笑った美琴の表情に上条は目を釘付けになった。柔らかに微笑む表情はいつになく優しく、愛しい気持ちが胸の奥を灼いた。
「わかった、わかった。ったく、俺の彼女は最強だよ」
最強の彼女がいて、いつだって自分のことを想ってくれる。
それほど頼もしいことはない。
「あ、そうだ。熱出てるから喉乾かない?さっき用意したのあるんだ」
「用意?」
「ちょっと染みるかもしれないけど、多分気持ちいいと思う。ちょっと待ってて」
握っていた手を離して美琴はキッチンへと向かった。するりと抜けていった手のぬくもりがまだ上条の右手に残る。
何を持ってくるんだろうかと考えていると美琴はカップを持って姿を現す。
「はい、これ」
少し甘酸っぱいような香りに上条は首を傾げた。気だるい身体をゆっくりと起こして美琴からカップを受け取る。
仄かに香るのは甘酸っぱいレモンの香り。湯気が頬を掠める。
「これ・・・・・・」
「ホットレモネードよ。冷たい方がいいかもとは思ったんだけど、熱出さないといけないのと喉のこと考えるとあったかい方がいいかなぁって思って。熱いと大変だから温くなってると思う。わざと時間置いたし」
「サンキュー、美琴」
受け取ったホットレモネードに上条は口をつけた。こく、と喉を鳴らして飲む。
温くなっているため、飲みやすかった。普段何かと口論になることも多いが、こういう小さな優しさが上条の心を満たしてゆく。
何気ない美琴の優しさが胸に染みていた。
「どう?」
「ん、飲みやすい。喉乾いてたし、ちょうどいいわ、これ」
「なら良かった。食べられそうならおかゆとかも作るけど、どうする?」
問われて初めて上条はずっと何も食べていなかったことに気づいた。まだ熱は残っているが、それでも昼間よりはまだ楽だ。
ほっと息を吐いたのと同時にお腹の虫が鳴る。ぐぅ、と間抜けな音に美琴は苦笑し、上条を見上げて「了解」と告げた。
「悪いな」
「ううん。じゃあ作ってくる。もしまだ飲みたかったらレモネード作るけど、それよりももう少し寝てた方が良さそうね」
「あー・・・そうだな。とりあえず一回着替えてからまた寝るよ」
「うん。じゃあ、着替えたら洗濯しとくから籠に入れといて」
「わかった」
頷いて答えた上条は背を向けた美琴を見つめると、まだ半分残ってるレモネードをもう一度口に含んだ。
甘酸っぱい味が何だか美琴の優しさと被るようで。
「甘いのか、酸っぱいのか・・・・・・」
小さく笑いながら残りの分を飲み干した。
仄かな甘さと酸っぱさと、それを満たす想いが胸の奥を締め付ける。
風邪引いて不幸だと思っていた気持ちが少しだけ和らいだ気がした。
熱が引いたら美琴を誘ってどこかへ遊びに行こうか。
きっと驚くだろうけれど、この分のお礼だと言ったらきっと頷いてくれるだろう。
いつも隣で笑ってくれている彼女のために早く良くならなきゃいけないな、そう思いながら上条は重い腰を上げた。
優しいほんのりとした甘酸っぱい味を口の中に残したままで。
終