07. Memory of snow


しんと静まり返った朝方だった。ぶるりと身体を震わせて御坂美琴はぼんやりと目を覚ます。
薄く窓の隙間から見えるのは白い景色。ああ、雪が降って積もってるのか、とぼんやりとした頭で考えていた。
先ほどまであったあたたかさが半減していた。あったはずのぬくもりはいつの間にか冷たくなっている。白い肩が布団から出ていることに気づいて、深く潜った。
またどこかに呼ばれて出かけたのだと気づくのは早かった。
そしてまたいつものことかと割り切るのも早い。
昔から同じことを繰り返してきた、それだけのこと。
だが、美琴の胸に虚空のようなものと表現するものか迷う何かが残る。
いつも隣にいるその人は色んな人のヒーローなのだ。だから仕方ないといつも諦めてきた。
でもどこかで思っていることもある。
―――私だけを見て欲しい、そう思うのはワガママだろうか。

いつからずっとこうやっていたのだろうか、とふと美琴は考える。
付き合いは中学の時から。互いの部屋を行き来するようになったのは高校生から。
同棲はしていないけれど、半同棲になったのは大学生から。
隣にいてもいい、と言ってくれたのは中学生という初々しい時だった。時折りくれる「好きだ」と言う言葉も嬉しいのに、物足りない自分もいる。
いつからこんなに欲張りになった?
どうしていつも同じように想うことで満足できない?
こうやって一人残される度に同じ問いを繰り返すことが増えていた。
美琴の迷いにアイツは気づいているのだろうか。
それすらもわからない。

眠れず、まだ時計の短い針が『5』を指していたが、身体を起すことに決めた美琴は傍にあったカーディガンを羽織る。
脱ぎ捨てた服が床に散らばっているのを見て苦笑いを浮べる。
自分の服しか残っていない。アイツの服はアイツが着ていったのだから当然ないのだ。
冷えた部屋を温めながら美琴は服を軽く羽織るとシャワーを浴びに風呂場へと向かった。
あたたかいお湯を注ぎ、頭から勢いよく降り注ぐ雫に隠れて美琴は声を押し殺す。
いつの間にか一人の時に泣くようになった。
悪い方向に考える自分の頭の中を流すように、ただ無常に流れるシャワーの雫が身体に流れてゆく。
こんな自分をアイツは知らない。

幸せの隣でいつもどこか不安を感じている自分がいた。それはもう付き合った時からだ。
アイツの顔を見てると嬉しくてはしゃいで、ちょっと甘くおねだりしてみたりして困らせることも多くて。
困らせたことでケンカになって、でもすぐに仲直りして、そんなことの繰り返し。日常の一部。
だからずっとこのまま続いていくものだと信じていたはずだった。だが、気持ちはその反面で悪いことを考える。
もともとモテる体質で、色んな人がアイツへ視線を向けていることを美琴は気づいていた。
いつか誰かのところに行ってしまうのではないかと思うこともあった。一番不安だったのはアイツの隣にいた修道女の少女の存在。付き合い始めた頃も、ケンカではないが、あの子のことどう思ってるのかでもめたこともある。
でもアイツはあの子は家族のようなもので、守らなきゃいけないと思ってた人だと言っていた。
自分と同じように守らなきゃいけないそう思っていたのだと。
今もその少女と手紙のやりとりをしていることは美琴も知っている。主に近況報告していることが多い。
律儀なアイツのことだからと美琴は見守っていたものだ。
一時期、姿を消すことはなかったが、また最近になって増えてきたのを美琴は肌で感じている。
姿を消した後、いつもテーブルの上に無機質に置かれた紙を見てため息を吐く。
『ちょっと出かけてくる。すぐ戻るから』
そのすぐがいつもすぐじゃない。そして傷だらけで帰ってくることも多かった。
連れてけなんて言えないし、敢えて美琴を巻き込まないようにしていることもわかる。守ってくれてるとは思う。でもそれが酷く淋しい。
連れて行けなんて言わない、でも事情だけは話して欲しいと思うのはワガママなんだろうか。
あの時やっと同じ位置に立てた、そう思っていたのに。
一人部屋に残され、その度に涙をこぼす、そんな自分が女々しくて嫌いだった。


「うわ、寒いわね」

大学の講義を終え、美琴はぶるりと身体を震わせるとコートの上からマフラーを巻いた。
雪が降り続け、大分積もった足元はきゅっ、きゅっと鳴る。これじゃ鳴き砂みたいね、と美琴は苦笑していた。
遅い時間まで研究していた美琴は冷たい夜の雪の空を仰いだ。藍色の夜空が静かに雪を降らせる。
白い吐息がふわりと舞った。
冬の星座を彩るはずの空は薄暗い雲に覆われ、美琴の眉間に軽く皺が寄る。天気予報によると今日も雪が降り続けるらしい。もう軽く十センチ近く積もってるんだけど、と軽く悪態吐きながら美琴は新雪の上に足跡を残してゆく。

「今日は鍋焼きうどんか何かにするかなー」

寒い日は暖かいものが食べたい。特に一人だとどうしても食べ物に頼りがちになる。
もう少し早い時間に終われば一年後輩の黒子や長年の友達である初春、佐天と言った友人達とご飯を食べるという選択肢もあったのだろうが、夜の10時を過ぎてしまうと選択肢は限られるものだ。
いつもならアイツの家に行っていた。一人になりたくない時とかは特に。
でも今、アイツはいない。アイツの家の合鍵は持っているけれど、そこで待つのは少し怖かった。
独りだということを嫌でも痛感してしまう。
鈍い胸の痛みと反する愛しい気持ちが美琴の中で交差している。しんしんと降り積もる雪にそれは隠せそうもなかった。
胸に閉じ込めている気持ちは好きと言う気持ちだけでは足りない。好きを通り越してもう『愛』なのだから引き返そうにも引き返せなかった。
長い時間を共にしすぎたのかもしれない。もう手離せるわけがないこともわかっている。
でもこの状態がずっと続くのは美琴自身もう苦しかった。

『こういう寒い日はさ、こうすればあったかくなるだろ』

高校生の頃、手袋を忘れた美琴に笑って自分の手袋を片方差し出し、互いに片方だけ手袋を嵌め、手袋を嵌めていない手は手を繋いで自分よりも大きなコートのポケットに入れて歩いた。こうすれば寒くない、と笑ったその笑顔が眩しくて。
寄り添いながら歩いた日を思い出しては深く息を吐く。

「そんなこともあったっけ」

今の美琴もちょうど手袋を忘れて手に何も嵌めていなかった。
冷たい風に当てられ、少し手が赤くなる。でも温めるものは何もない。缶コーヒーでも買おうかと思ったが、めんどくさくなって一人の足跡だけを残しながら歩く。
もう少し歩けば自分の住む家が見えてくる。そうすれば家の中に残ってる食材を使ってあたたかいものを作ろう、そう意気込んでみるものの、数秒後にはその気合も空回る。結局作る気力を出せなくなった美琴は近くのコンビニに立ち寄った。
鍋焼きうどんぐらいあったはずだと美琴は商品を陳列している棚を見回した。ぐるりと見回すと、一つだけ残るそれに手を伸ばす。
それを手に持つと美琴はレジで精算を済ませ、再び冷たい風が吹く夜の道へと戻る。歩道を歩き、再び家路を歩むその足を美琴はぴたりと止める。
後ろに続くのは先ほどまで歩いていた自分の足跡。独りしか残らないその足跡をじっと見つめる。
いつもは二人だった足跡。でも今は独りだけ。
ふいにこみ上げる切ない気持ちを抑えながら美琴は駆け出す。独りであることがこんなに怖いものだなんて知らなかった。
いつも傍にいてくれる人がいたから怖くなかった。
たとえ離れた場所で生活していても、会えるからと笑っていられた。
でも、また姿を消したアイツはいつ帰ってくるかも、ここに帰ってくるのかもわからない。
不安だけが独りの肩に圧し掛かる。
駆け足で自分の住むマンションの入り口まで着くと、美琴はほっと肩を撫で下ろした。街灯が静かに淡い色の光を放つ。

「何でこんなに弱くなっちゃったんだろう・・・・・・」

ただ好きでいられたなら良かった。簡単に笑っていられたら良かったのに。
好き、それ以上の気持ちを持ってしまったことが悪かったのか。でも知れば知るほど気持ちは深くなるもので。

「好きなのは仕方ないじゃない・・・・・・」

じわり、目頭が熱くなる。美琴はごしごしと目を擦って涙を拭うと弱くなった心を奮い立たす。
果てなく振り続ける雪は無常にも積もってゆく。ただ一人足跡を残しながら美琴はマンションの前に着くと自分の肩に降り積もった雪を払う。
ふぅ、と一息吐いたところで人影を見つけて思わず声を詰まらせる。だが、よく見ると見慣れた姿がそこにあった。

「お、今帰ってきたか。おかえり、美琴」

「は・・・・・・? アンタ、何やって」

「何って、お前が帰ってくるの待ってたんだけど」

「待ってたって、いつから?っていうか、合鍵あるんだからさっさと入ってなさいよ」

「んー、十分前くらいかな。何となく待ってたかったっていうか」

「バカ。風邪引いちゃうじゃない。家に入ってくれた方が・・・・・・」

美琴が一歩前に足を踏み入れるとその手が伸び、美琴の華奢な腕を引っ張り、自分の腕の中に収めた。
一瞬何が起きたのかわからなかった美琴は瞬きを繰り返す。

「あー、やっぱあったかい」

「何やって・・・!さっさと家に入る・・・・・・」

言葉が途切れたのは至近距離でその瞳を見上げたから。くい、と美琴の顎を上げられ、吐息のかかる距離でその瞳を見つめる。

「なあ・・・美琴」

「な、何よ、当麻」

「お前、泣いてた?」

「・・・・・・っ!」

そんなこと、と言いかけた言葉を上条当麻は真っ直ぐ茶色の双眸を見つめる。

「別に、アンタには関係ない・・・・・・」

本当は嘘だった。一番関係してるのはアンタなのよ、と言いたい心を美琴はぎゅっと押さえつける。胸の奥がきりきりと痛み出すのと同じくらいに上条は美琴の頭を自分の胸に当てた。

「本当にそうか?」

なぜ今日に限って鋭い答えばかり返すのだろう。大丈夫、何でもない、アンタには関係ない、震えそうになる唇が言葉をなぞろうとするものの、再びぎゅっと抱き締められ、美琴は言葉を失くす。
何で、こんなこと聞くのよ。
じわりとこみ上げる想いが美琴の胸を締め付ける。

「なぁ、ずっとお前我慢してたんだろ? 俺に言うことないか?」

「な・・・んで」

何でそんなこと言うのよ、小さな声はくぐもった音と共に吐き出された。

「何よ、いつもいつも勝手にいなくなっちゃって。それでいて我慢してた? 我慢しなきゃやってらんないわよ。でも仕方ないって思ってたんじゃない。当麻のこと好きだから、待ってるしかないじゃない。事情なんて知らないし、私なんて連れて行ってくれるわけないんだし、だったら我慢するしかないでしょ。それとも何よ、アンタは行かないって言う保証あるわけ? ないんだったら余計なこと聞かないでよ。何か約束だってあるわけじゃない。本当に好きでいてくれるかもわからない。アンタモテるし、私以外の誰かが掻っ攫っちゃうかもしれない。でもそんなことになっても私には止められない。私はアンタが好き、大好き、愛してる。でも私の気持ちはそうかもしれないけど、アンタの気持ちはわかんない。別に将来を誓い合った仲でもないんだから、確証なんてものもないし、でもアンタを失いたくないから黙るしかないでしょ。どんな想いで・・・」

「我慢してたか、ってことだろ?」

ごめんな、と上条は美琴の耳元で囁いた。押さえつけていた気持ちが決壊する。美琴は肩を震わせていた。

「当麻のバカ・・・心配したのよ・・・・・・」

でも最後には上条を労わる言葉を美琴は口にした。どんなに怒っても、どんなに文句を言っても、最後には美琴は必ず上条を思い遣る。ここが自分の居場所だと言ってくれるのだと上条は実感していた。

「ごめん・・・悪かった」

力強く抱き締める腕のぬくもりが美琴の身体を包み込む。久しぶりのあたたかさに美琴はぼろぼろと涙をこぼした。
思わずこぼした本音。でもそれを否定はしない上条。どんな言葉を返すものかわからなかったが、美琴自身少しすっきりしたのも事実。だが、言った言葉を後悔していないとは言えない。余計な言葉も言ったような気がする。考えてみれば言わなくて良いことのほうが多かったかもと独り我に返って青ざめていると上条はその腕を緩める。そして美琴の顔を上げて笑った。

「・・・・・・やっと、本音聞けた」

「え?」

きょとん、と涙を引っ込めて美琴は上条の言葉に首を傾げた。不思議そうに見上げる美琴の額に上条は自身の額を当て、言葉を口にする。

「いつも悪いなって思ってたんだ。急に居なくなることの方が多いしさ。でもお前は何も言わず『おかえり』って言ってくれてただろ。あれ、いいのか?って思ってたんだけどさ、それじゃいけないだろって土御門に言われた」

上条の腐れ縁とも言うべき友人の名が出てきて美琴は驚いていた。そう言えばここ最近舞夏に会ったような気がすると美琴は記憶を辿る。ちらっと愚痴をこぼしたような気がするが、舞夏自身も義兄の文句を口にしていたからつい言ってしまったような気がする、と美琴は自分の行動に苦笑する。

「きっと我慢してくれてるんだろって。きっと俺が知らない顔があるから見てみろって言われたんだ」

「・・・・・・私、そんな顔してた?」

恐る恐る美琴は訊ねる。

「さっき見た。お前帰ってくる時、振り返ってただろ。本当はそこで声を掛けるつもりだったんだ。でも何か真面目な顔して泣きそうになってたから、声掛けられなくてさ」

「あ・・・・・・」

「そうしたらマンションの前で泣いてただろ。色々と何か我慢してたんじゃないかって思ったんだ。お前、珍しくコンビニで弁当の類買ってるしさ。いつもと違うからそんなこと考えてた」

言い当てられ、美琴は押し黙る。そこまで読まれてたのかと我ながら自分の分かりやすさに辟易する。

「文句言われても仕方ないって思ってる。だからお前の本音聞きたかったんだ。多分家にいたらまた聞けないんじゃないかって思ってたし・・・・・・鈍くてごめん」

「そんなの最初から知ってるわよ」

「だよな」

苦笑する上条に美琴は「バカ」と呟き、そっと瞳を上げて上条を見つめる。上条もまた美琴を見つめると互いの空気がふっと緩んだ。緩んだ空気に美琴はそっと瞼を伏せ、上条はその柔らかな唇に自分のそれを重ねる。短いキスを繰り返した後、長く口付けを交わした。熱が二人を包み込む。
熱っぽい吐息が漏れ落ちると、二人は再び微笑む。

「外で何やってるのかしらね」

寒いはずの雪が降る中、二人の息が重なった。ぷっと笑いながら上条は肩を透かす。

「さあね。・・・・・・美琴、」

「ん?」

「春になったらさ、一緒に住むか?」

「え?」

「今のままだと中途半端だろ? 幸いにも春からの就職先も決まってるし、お前は研究するために暫くは大学にいるんだろうし、そう思ったら今がちょうど良いんじゃないかって思ったんだ」

「ちょうど良い、って?」

俄かに美琴の声が震えていた。上条が何を言おうとしているのか、わかるようでわからない。

「すぐに結婚・・・は無理だろうからさ、結婚前提で同棲はどうかって」

「・・・・・・本当?」

「本当だって」

俺信用ないなーと苦く笑う上条に美琴はバカね、と笑った。

「だって、当麻何も言ってくれないから、そういうの頓着しないんだと思ってた」

「あのさ、俺だって色々と考えてるだってことはお前だってわかるだろ。今の状態だって大学に上がるまでいいって言わなかったんだし」

「確かにそう言う変に義理堅いところはあるわね」

ふむ、と頷く美琴に上条はがっくりと項垂れた。ああ、そう言う答えですかー、上条さんの努力ってなんですかねーと独りぶつぶつと呟く。

「で、どうするんだ? お前はどうしたい?」

「もちろん決まってるでしょ」

その言葉をどれだけ待っていたか。
ずっと一緒にいてもいいのだと言ってくれたことが嬉しくて。

「最初から決まってるのよ。私は当麻についてくって決めてたんだから」

不安だった気持ちを拭って美琴は微笑んだ。
優しく笑ったその微笑をいつも守りたいと上条はいつも思っていた。
だからいつも黙って出かけ、時折り怪我をして帰ってきても、この笑顔を見る度にこれでよかったと思っていた。
でも実際は淋しくさせていたことを痛感する。
独りがどれだけ淋しいのか、上条は分かっているようで分からない。
でも、と思う。
これから一緒に住むことでその不安を少しでも拭えたらと。
また出かけないとは限らない。でもそこに美琴を連れて行こうというのはほとんどないだろう。
『ただいま』と言って『おかえり』があるその優しい空間が上条は好きだった。

「・・・・・・ただいま」

上条は言葉を口にする。美琴もまたいつもと同じ言葉を紡いだ。

「おかえり、当麻」

いつだってここが帰る場所なのだと告げる。

雪が降り続ける寒い夜空の下で、未来の約束を交わす。
静かに降り積もる雪はそんな二人を黙って見つめていた。


そんな雪の日の記憶。
かけがえのない思い出が心に刻まれた。






*あとがき
上条×美琴の短編です。長編の間に気晴らしに書いた話です。 二人の年齢的には大学生。相変わらず色んなところに行ってしまう上条さんがいます。 付き合っている二人ですがこのあたりの年齢になると色々と思うことも多いと思ってこの年齢設定になりました。多少大人な話です。 元になっているのはfripSideの同名の曲からです。切ない歌詞のままで考えていたら失恋にしかならなくて、これをハッピーエンドにするにはどうすればいいのだろうかと考えていた時に思いついた話です。少しでも楽しんで頂ければ幸いです。