「あれ・・・? チナミくん?」
思わず声を漏らしたのはその人を探していたゆきだった。縁側の柱の傍に寄りかかっているその姿を見つけ、思わず声を漏らしたゆきはそっと傍に寄る。どうやら寝ているらしく、ゆきの声にも反応を見せなかった。チナミの傍に寄るとゆきはじっとその顔を見つめる。本格的に寝入っているのだろう。いつもなら傍に寄ればすぐに起きるというのに、今日は全くその気配すら見えないのだ。
「疲れてるのかな・・・?」
すやすやと寝入っている姿は今までにないくらい穏やかな表情で、思わずゆきはその表情に見入る。いつも傍にいる時はどこかぴりぴりしているところもあるし、笑って笑顔を見せてくれる時もある。でもそれとはまた違う表情だった。ここ最近色んなチナミの表情を見ることが多い。それだけ傍にいると言えばそうなのだが、今日の表情は何もかも忘れてほっとしてると言った方が正しかった。
記憶をなくして不安定な部分もあり、けれど強くもある瞳はゆきにとって何度助けられてきたことか。
「・・・無理して思い出さなくてもいいんだよ」
思い出そうとしてその度に頭痛に悩まされている姿を見ていると何とも言えなくなるものだ。無理しなくてもいいんだと言うと大抵首を横に振る。何か引っかかっているのだろうし、やはり思い出したいのだろう。
「『忘れていることは自分にとって都合の悪いものでも思い出したい・・・忘れることはその人にとっても失礼だろう?』って言ってたけど、そんなに気負う必要はないって思うのになぁ」
きっとチナミの兄であるマコトもそう思ってるだろうとゆきは思う。チナミをそっと見守っていたように見えたマコトの姿はゆきの記憶にしっかりと刻まれていた。弟であるチナミのことが大切だったのだろう、その瞳を見てゆきは何度思ったことか。
「頑張って欲しいけど、頑張らないで」
あなたが無理するところは見たくない。
辛いなら傍にいるから。ずっと傍にいたいって思ってるから。
「私じゃ頼りにならないかなぁ」
おもむろにゆきは腕を伸ばして指先でチナミの頬に触れた。柔らかな感触が指先から伝わる。
こんなに近くで触れたことは一度もなかった。見たことも触れたこともなかったため、ゆきは内心鼓動を早くしながらもその顔を覗きこむ。
自分では頼りにならないだろうか、そう何度も問いかけながら今日まで来た。
何でチナミだけそう思うのだろう、そう思っていたが答えは簡単だったのだ。
自分のことを必死で守ってくれるチナミの背中をいつも見ていた、傍にいたから気づくのが少しだけ遅かったけど。
「チナミくんがいないと嫌だからね」
あなたのことが好き、だから。
言えずにいるその想いをからりとした空気にのせたゆきはそっと瞼を伏せてその横に座った。そして軽く寄せるように自分の体を傾けチナミに預ける。
瞳を伏せてゆきはあたたかな陽射しにあたりながら心地良い空気を軽く吸い込むと、うとうとし始めた意識を手離した。
「・・・で、何でこんな状態になってるんだ」
チナミはいつの間にか眠っていた自分の身体を起そうとしたところ、なにやら重いものが引っかかっていることに気づいてそれを見ると、思わず大きな声を出しそうになって慌てて自分の口を塞いだ。
自分の肩に寄り添うのはここにはいなかったはずのゆきの姿だった。
自分の頭の中に疑問符が浮かぶものの、さっぱりわからないのだから仕方ない。自分の眉間に皺を軽く寄せながら起さないように、と思ってチナミがゆきを離そうとしたところで、形良い唇から声が漏れ聞こえた。
「ん・・・・・・」
「あ、ゆき。起きたか? 起きたのなら自力で・・・」
「あ、チナミくんだー」
へら、と無防備な笑顔を見せるゆきを見てかっとチナミの頬が紅に染まる。
ずるいではないか、そんな表情見せられるとこの手を離したくないと思ってしまう。
チナミの心の中では葛藤があるものの、とりあえず理性が勝ったのか「ゆき」とその名を呼んだ。
「オレも起きたから起きてくれ、頼む」
「ん・・・チナミ、くん?」
ぼんやりとした眼を擦りながらゆきは手を伸ばすと先ほど触れたようにチナミの頬に自分の手を重ねた。驚いたのはチナミのほうだった。何が起きたのかさっぱり理解できない。
「ゆ、ゆき!?」
軽く裏返った声にゆきははっとして自分のしていることを改めて認識する。
触れていた感触が本物だと気づくと一気に意識は覚醒され、手を離した。
「ち、チナミくん!ご、ごめんね!!」
「い、いや。別に・・・」
「迷惑だったよね。本当にごめんね」
ごめんとしきりに謝るゆきに焦っていたはずの気持ちが落ち着きを取り戻し、チナミははぁと軽く息を吐いてゆきを見据えた。ゆきはまだ慌てているのだろう、どうしていいのかわからずにいるゆきの頭を軽く叩いた。
「落ち着け、ゆき」
「あ・・・・・・」
「オレは迷惑だなんて思ってない。だから落ち着け」
「チナミ・・・くん?」
「オレなら構わない。・・・他のヤツにもこんなことするのか?」
チナミの問いに「え?」とゆきは首を傾げ、自分のした行動を振り返る。振り返って顔を赤らめながらゆきはぶんぶんと首を振りながら「し、しない!しないよ!」と声を挙げた。
「そ、そうか。だったらいい!」
「え?」
「オレ以外にはするな」
わかったか、と言うチナミに「あ、うん」と間抜けな声をこぼした。声をこぼしたのと同時にチナミの耳が赤く染まっていることに気づく。ああ、そうか、照れてるんだと気づくとゆきはなんだか可笑しくなってくすくすと笑いながら立ち上がったチナミの手を取った。
急に手を取られたチナミはぎょっと目を大きく見開いてゆきを見下ろす。
「ゆ、ゆき!?」
「チナミくんならいいんだよね?」
「お、おう」
「だから手を繋いでみたの。何だか落ち着くから」
急に触れたくなったなんて言えなくて、ゆきは笑いながらそう言うとチナミは頬を紅く染めながら「そうか」とだけ返す。
ぶっきらぼうだけど優しいチナミの気持ちが伝わってくるようで、ゆきは微笑を向けながらぎゅっと手を握った。ゆきの手をチナミは黙って握り返す。
不器用なあたかな想いが少しずつ育まれる。
その想いを伝えるのはもう少し先のこと。
今はまだそのままでいたい、けれど触れたいと思う気持ちが残る精一杯の手繋ぎ。
終