いつからだろう、好きだと気づいたのは。
この人の背中を自分が守るんだってそう思ったのは。
だから彼がいなくなってそれが違うんだって初めて気づいた。
『明日、鎌倉の御殿で舞って下さいね』
政子の微笑が望美の頭から離れることはなかった。
九郎が来るわけない、望美は一人冷たい牢の中で考える。
ああ、そう言えばあの時も牢の格子とか冷たかったっけ、と望美は何度も繰り返した時空の中のことを思い出した。
あれは、九郎が処刑される前の日。格子越しに伝えられた指先の熱が今も望美の中で残っている。
『お前に俺の運命を預けたんだ』
そう小さく笑っていた九郎。
あの人が生きていればそれだけで良かった。
ただ、生き延びてさえくれれば良かった。
ねぇ、九郎さん。私は生きてくれればそれで良いんだよ。私のことなんて気にしないで。私のことなんて忘れてもいい。
ただ、生きて。
そうすればもう一度あの笑顔に会えるかもしれないから。
◇ ◇ ◇
「わたしね、九郎さんが生きてくれればそれだけで十分だったの」
ぽつりと月夜にこぼした望美の言葉が九郎の耳に残る。
黙って一人語る望美の言葉に耳を傾けていた。
「私はどうなっても良かった。九郎さんが生きてくれればそれで十分だった。いつか会えるかもしれないってそう思ってたから」
まさか自分を迎えに来るなんてそう思っていなかった。
ちゃんと想いを口にしたことなんてなかったから、自分を想っていてくれたことに嬉しい気持ちと戸惑いが生まれた。
どうしてここに来たの、そう最初に望美が泣きそうな顔で言った時、九郎が当たり前のように口にした言葉。
『お前は俺の許婚だろう。許婚を迎えに来て何が悪い』
「お前がいなきゃ意味がないだろう。もしかするとあそこで処刑されていたかもしれないんだぞ。会えるかもしれないってどうして思ったんだ」
黙っていたはずの九郎が言葉を口にした。
少し怒りが混じっていることに望美は気づいていたけれど、敢えてそれを指摘することはない。
「どうしてかなぁ。わかりません。でも、そう信じていたかったのかも。深く考えてはいなかったと思います。だけど、そう信じていれば何だか満足だったんです」
「満足って・・・・・・お前は、いつも・・・いや、いい。今更だ」
「あ、一言で片付けましたね?いいもん。どうせ私はバカだもん」
「そうは言ってないだろう」
「そういったも同然です」
頬を膨らませ、口を尖らせながら望美は膝を抱えて座っていた。
九郎は隣に座る望美を横目で盗み見ながら小さなため息を吐く。
言葉で言っても望美には効かないことはわかっていた。だから、と九郎は自分の左腕で望美の肩を抱き寄せた。
驚いた望美はぽかん、と九郎を見上げる。
「九郎、さん?」
「・・・・・・お前が今ここにいて良かった」
それは九郎の本音。望美は九郎を見上げたまま唇をきゅっと結んだ。
どうしてこの人は欲しい言葉を簡単に言うんだろう。
自分が口にできない言葉をさらりと口にする。
好きだとか、そういう言葉は恥ずかしがるくせに。
「私だって、九郎さんがここにいてくれて良かったって思ってます」
だって、九郎さんのこと大好きだもん。
小さな声で呟いた望美の声に九郎は思わず目を瞠った。
「お前がいない世界なんて考えられない」
だからいてくれて良かった、九郎の声が言葉を紡ぐ。
望美は空に浮かぶ月を見上げながら一滴が頬を伝ってこぼれ落ちる。
まだ自分達は追われる身ではあるけれど、でもいつかと望むのは。
「ねぇ、九郎さん」
「うん?」
「私の世界に来ませんか?」
傍にいて欲しい。
好きだから、傍にいて欲しい。
生きていて欲しいから。
「え?」
「私、九郎さんが好きです。傍にいて欲しいもの」
ダメですか?
望美の世界、それは九郎にとっても夢に描いたような世界。
その望美達が過ごす世界へ行くこと。
「駄目ではない。むしろ驚いたんだ。そんなこと考えてもいなかった。ただ夢物語のようだと、そう思って」
「ここにいたらまた追われます。それに、私は・・・・・・」
元の世界へと戻らなければならない、望美は別の世界から来た人間なのだ。
それを改めて突きつけられる形になる。
手離したくないとそう思ったのならば、望美の傍にいたいと思ったなら。
「・・・そうだな、お前の世界に行くのも悪くない」
「本当!? 本当ですか!?」
嬉しそうに振り向いた望美の手を引っ張り自分の胸に抱き寄せる。
ぎゅっと抱きしめながら九郎は望美の耳元で囁いた。
「ああ、俺はとうにお前を手離す気がないんだ」
そうならば望美のいる世界へ行くのも悪くない。
「九郎、さん・・・・・・私だって、九郎さんを手離す気ないですから」
初めて出会った時から目の離せない存在だった。
ころころと表情を変えて、いつも自分の傍にいた大切な存在。
好きだと気づいた時から、自分がいつ果てるのか分からない身なのに生きたいと願っていたこと。
戦場で命を散らせる覚悟はあったはずなのに、それがいつの間にかなりを潜めていた。
「大好きです、九郎さん」
寄せ合う影が光を落す。
重なる唇が二人の距離が縮まっていることを伝える。
ああ、そういう表情が好きなんだと、望美の存在が愛しくて仕方ないのだと。
「俺もだ」
―――そして君に恋をする。
終