落ち着かない鼓動

初めての経験だった。今も心臓の音がドキドキしていて止まらない。
ただ静かにカーテンの隙間から見えた陽の光がやけに眩しくて、思わず目を細めて身体を縮ませたら小さく笑った紅色の瞳と目が合った。どことなく落ち着かない気持ちと、恥ずかしい気持ちの間で心は揺れ動く。
はた、と目が合った後、小さく笑みを漏らして二人で笑って、ふわふわした気持ちを共有していた。
・・・その雰囲気のままのはずだった。そう、朝に起きた時までは。

「あ、連絡忘れてた」

ぽつりとゆきは自分の鞄の中に忍ばせていた携帯電話を取り出して一言呟いた。

「え?」

思わず怪訝そうな眼差しを向けたのは焼きたてのパンにかじりついていたチナミだった。

「家に連絡・・・入れ忘れちゃった・・・・・・」

「なっに――――っ!?」

朝からチナミの大きな声が部屋の中を駆け巡る。
やっちゃった、と苦笑しながらどうしようかなぁとのんびりした声を出すゆきとは対照的にさっきまでの穏やかな顔から一変、青ざめた表情がそこに残っていた。

そもそも事の起こりは前日の夜に遡る。
大学の学祭後、サークルの打ち上げで居酒屋で盛り上がってたこともあり、いつもよりも酒を飲む量が増えていた。
二人して酔っていたため、何とかチナミの家に辿り着いたものの、そこからゆきの家に送り届ける体力はさすがに残っていなかったのである。チナミはゆきに家に連絡入れるよう言ったのだが、ゆきは完璧忘れてしまっていたらしい。朝のあの甘い雰囲気はどこへやら、チナミは真っ青になって慌て始めた。

「ま、まずいぞ、ゆき。家に連絡入れてないということは、お前の両親が心配していたんじゃないか?」

「んー、お父さんとお母さんは大丈夫だと思うよ。だって、今旅行中だもん」

「そ、そうか・・・・・・ん? ってことは、今ゆきの家にいるのは・・・・・・」

「瞬兄と祟くんだけ」

「へー・・・ってそれが一番まずいだろ!!」

ほっとしたのも束の間、ゆきの両親が不在でもゆきの親代わりを務める瞬やその弟である祟が家にいるのならば尚のこと、心配させたのではないのだろうか、とチナミは落としかけたパンを口の中に放り込んだ。のんびり食事を摂っている場合ではない。

「まぁ、学祭で遅くなるって言うのは言ってたけどね・・・じゃ、ダメ・・・だよね」

上目遣いでゆきはチナミを見上げると、チナミは小さくため息を吐いて「ダメだろ」と答えた。
瞬のゆきに対する過保護っぷりは異世界を行き来していた時に実証済みだ。且つ、怒らせると怖いこともチナミは知っている。女友達の家に泊まったのならいざ知らず、チナミの家に泊まったのだから更に状態は最悪だった。

「電話、きてなかったのか?」

「きてたみたい・・・何件も不在着信来てるし」

「気づかなかったのか?」

「・・・気づくわけないもん」

昨日のことを思い出してゆきが頬を紅く染めると、チナミもまたつられるように思い出して顔を一気に紅くさせた。昨晩は寄った勢いもあったし、ゆきが二十歳を超えたこともあってもう未成年じゃないと言う気持ちが後押ししたのだろう、いつもは理性を保って守られていた境界線を超えたのだ。初めて二人で迎えた朝で、もっとその雰囲気を味わうはずでもあったのに。・・・って、こんなことを言っている場合じゃないとチナミは意識を戻す。
チナミは軽く咳払いをする。

「と、とりあえずだ。支度済ませたらすぐにゆきの家に行くぞ」

「う、うん」

「あと、家を出る前に一応瞬に連絡入れておいた方がいい。とりあえずどこにいるかを伝えた方が瞬も安心する」

「そうだね」

ゆきは携帯電話のキーを軽快に叩いてメールを作成した。一言謝罪の言葉と、今どこにいるのか、そしてこれから帰ることを告げる。案の定、メールを送って直ぐに瞬から返事のメールが返って来た。ただ短い言葉で帰ってくるのを待っていることだけが記されている。それだけの言葉なのに、目に見えない威圧感を感じてチナミは小さくため息を吐いたのだった。




「・・・ねぇ、チナミくん」

「何だ?」

「私一人でも大丈夫だよ?」

手を繋ぎながら路地を歩くゆきは顔を上げてチナミを見つめた。ゆきの歩幅に合わせながらチナミは「何を言ってる」と返した。

「元をただせば私がチナミくんが家まで送るって言ったのにワガママ言ったわけだし。連絡しておくように言われてたのに忘れたのも一つの要因だし」

「オレもちゃんと確認しなかった、だからオレも悪いんだ。それに最終的にオレの家にゆきを泊めることを決めたのはオレだしな。いくら付き合ってることは分かっていても、こういうことはちゃんとした方がいい」

「・・・瞬兄、怒ってると思うよ」

「・・・わかってる」

「瞬兄、怒ると怖いよ?」

「・・・それもよくわかってる」

一つため息を吐いてチナミは足を止めた。ゆきもその手に倣うように足を止める。二人の瞳が互いの顔をじっと見ていた。
瞬が一度龍馬に対して怒ったことがあった。まだ時空を行き交っていたいた頃だが、その時の瞬の怒った顔をチナミはまだはっきり覚えている。ちょっと悪ふざけがすぎたのだが、今の瞬に比べて余裕があまりなかったせいか、かなり怒っていた。さすがに皆驚き、そして閉口したものだ。
それが自分の身にふりかかると思うと頭が痛いが、ゆきと付き合っているのだからこれぐらいの責任がなければいけないとも思っていたため、腹を括る覚悟はできていた。

「お前一人怒られるわけにはいかないだろ。少なくてもオレはゆきと付き合ってるんだ。・・・連帯責任、だろ」

いずれは夫婦になりたいと思ってるわけだし、とぶつぶつ小さな声で呟くチナミにゆきの胸はきゅっと詰まった。ずっと一緒だと確かに言ってくれていたけれど、こうやってちゃんと言葉にしてくれたのは初めてで、ゆきの瞳が自然と潤み始める。

「チナミくん・・・・・・」

今にも泣きそうなゆきの顔を見て驚くと共に「当たり前の話して、何が悪い」としれっと言葉を重ねた。

「だからお前一人では行かせない。オレも一緒だ。それで異論はないな?」

「・・・うんっ!」

笑顔とともに明るい返事が返ってきてチナミはほっと息を吐く。
再びぎゅっと手を握り締めると二人は歩き始めた。歩いてから数分後、ゆきは何かを思い出したように、くすくすと笑い出す。

「? どうした?」

「んー、なんかこうしてるの少し恥ずかしいなぁって思って」

「は?」

予想もしなかった返答にチナミは不思議そうな眼差しを向けていた。ゆきはきゅっと手を握り返すと、あのね、と言葉を続ける。

「チナミくんとやっと少し近づいたなーって思ったの。何にしても二十歳の誕生日過ぎてからって言ってたでしょ。旅行もそうだし、チナミくんの家に泊まることもそうだし。だからすごく嬉しい」

「ゆき・・・・・・」

「嬉しいなと思ったらなんだか恥ずかしくなってきちゃって、すっごい今でもドキドキしてるし、落ち着かないし、なんか浮き足立ってるし、でもやっと同じ位置に立てたんだなーって思ったら嬉しかったんだよ」

ゆきは目を細めて言う。チナミはそんなゆきを見つめながら「そうか」とだけ返した。
もっと言いたい言葉はたくさんある。付き合って数年、いつも開けなければならない距離を見ながら歩いてきた。けれど、もうそれも必要ない。

「ゆき」

「なぁに、チナミくん」

「大学を卒業して、ちゃんと安定したらその時は・・・・・・」

「その時は?」

きょとん、と大きな淡い蒼の瞳が紅の瞳を見上げていた。

「一緒に、暮らそう」

ずっと一緒に、共に人生を歩むために。
それは未来の約束事。

「・・・はい。よろしく・・・お願いします」

胸にこみ上げるものを抑えながらゆきははにかんだ。
ちょっと恥ずかしさの残る朝帰り、二人の短くて甘い時間はゆっくりと過ぎてゆく。
一歩ずつ確実に未来への階段を上がりながら二人は小さく笑い合っていた。




「・・・で、ゆきは連絡をし忘れてた、と」

「・・・う、うん。ごめんなさい、瞬兄」

「いつも連絡だけは寄越すようにと言ってましたよね?」

「・・・そのとおりです」

「で、チナミはチナミでてっきり連絡をしたものだと思っていたと?」

「・・・そ、そうだ。オレもしっかり確認しなかったのが悪い。申し訳なかった。桐生には余計な心配をかけさせた」

「・・・・・・全く、二人とも二十歳を越えたんですよ。少しは大人になったという自覚を持ってください」

「申し訳ない」

「ご、ごめんなさい」

膝を突いて二人はひたすら目の前にいる人物に謝る。チナミに至っては土下座しっ放しだった。
ゆきも正座したまま頭を下げる。深々と頭を下げたままかれこれ三十分は経過していた。
怒ると怖いというよりも、ある意味呆れているのか瞬は淡々と同じような口調で二人を諌める。逆にそれが怖いといえば怖かった。
しかもいつもよりも丁寧な口調で言われるのだから余計に居心地が悪い。

「学祭で盛り上がるのは分かります。ですが、酒は飲み過ぎないようにとあれほど注意したんですが、ゆきには無駄だったということでしょうか?」

ゆきは慌てて頭を振りながら瞬の言葉に答えた。

「ううん!最初は覚えてたの。チナミくんも言ってたし。でも、つい・・・・・・」

「つい、何ですか?」

「えっと・・・つい、飲みたくなっちゃって・・・・・・」

「すまない、桐生。オレも傍にはいたんだが、意外とペースが良くてオレも防ぎきれなかった。今度からは気をつける」

「・・・ゆきは調子に乗るとすぐにこうなる。チナミも気をつけてくれ」

「わかった」

ひたすら頭を下げる二人と懇々と話をする瞬の間にずい、と割って出てきたのは瞬の弟である祟だ。ぼりぼりとポテトチップスを頬張りながらソファに座ってぼそ、と言葉を口にする。

「そろそろいいんじゃないの、兄貴」

呆れた口調は尚も続いた。久しぶりに祟の姿をチナミは見たのだが、声変わりもしっかりしており、瞬を呼ぶ呼び名も年相応のものになっていた。人の成長と言うものはある意味早いものだとチナミは心のどこかで思う。

「二十歳越えたいい大人がこう正座して謝ってる姿って言うのも面白いけどさ、ボクこれからテレビ観たいんだけど」

「・・・お前はまた、」

「はいはい。小言の多い舅になるよ、兄貴」

「祟、父も母も今旅行中なんだぞ。何かあってからでは・・・」

「説教は後からでいいよ。テレビ終わったらにしてくれる?」

はぁ、とあからさまにため息を吐いて瞬はゆきとチナミに身体を向き直した。

「とりあえず二人とも、今後はちゃんと連絡するように。それから酒は飲み過ぎないように気をつけてください」

「あ・・・はい! 気をつけます!」

「ああ、もちろんだ。ちゃんと気をつける」

「わかったのならいいです。二人とも戻っていいですから」

「え・・・?」

ぽかん、とゆきもチナミも口を開けて瞬を見上げる。瞬は「何か?」と二人に返すと大きく首を左右に振って答えた。

「な、何でもない! 次から気をつけるから。ごめんね、瞬兄」

一つため息を吐くと瞬はくるりと踵を返して二人に背を向けて歩き出し、廊下の向こうへと姿を消した。呆然と二人はその背中を見送る。そんな二人を横目に祟は息を吐くと独り言を口にした。

「言っとくけど、昨日の兄貴、かなり心配してたんだ。二人とも反省しなよ」

年下に諌められ、二人はしゅんと項垂れた。言い返す言葉もない。

「お姉ちゃんはどうぜチナミさんのところにいるんだろうことは何となくわかってたよ。でも、心配するのは当然でしょ?」

「うん・・・そうだよね。ごめんね、祟くん」

「ボクに謝らないでよ。謝る相手は違うし、これ以上謝っても同じだから、謝らないようにね」

釘を刺す祟にうん、とゆきは頷いた。そして二人はリビングを後にしてゆきの部屋へと移動する。
きっともっと心配させたことはゆきにもわかっていた。だが、言葉にすれば違う言葉で返されることはわかっている。
二人の気持ちに感謝をしつつ、ゆきとチナミは視線を合わせると照れくさそうにはにかんでいた。




*あとがき*
まぁ、相変わらず苦労してますよね、瞬兄って感じの話であり、二人とも変わらないなぁなゆきとチナミの話です。書いてて楽しかったです(笑)ちょっとかわいいラブコメ書きたいって思ったはずなんだけどなぁ。なんかずれてるって言うか(苦笑)二十歳越えてもこんな二人が好きです。また二人を書きたいなぁって思います。そしてチナミも好きだけど龍馬やサトウも好きなんだ、私(笑)。