『お前に守りたいもんができた時、その気持ちは立派な糧となるんだ。
布都彦、わかるか?』
幼い布都彦へ呪文のように言葉を口にしたのは年上の兄だった。
首を傾げた布都彦の頭をわしわしと撫で、今はそれでいいと呟いた兄の横顔はどこか寂しい印象を与えたのを布都彦の中に記憶する。
兄が最後まで守り抜いた、大切にしていた人がいたのだと知ったのはそれからすぐのことだった。
あの時、兄は何を想い、布都彦へ問いかけていたのか。
今では推し量ることしかできないが、きっと兄は何かを信じ、たとえ周りからどう言われようとも固い信念があったのだろう。
今の布都彦ならばわかる兄の気持ち。
傍らに存在する大切な人を守りたいと願う気持ちが、今の布都彦の糧だ。
「ねぇ、布都彦。ここは何の花が咲くの?」
「はい。ここは桃の花が咲くと言われております。よく兄が連れて来てくれた場所でもあるのです」
「そうなんだ・・・・・・じゃあ姉様もきっと来たのかな」
「恐らくそうかと」
「布都彦、もう少し言葉崩しても良いと思うんだけど」
苦笑いを浮かべる少女に「すみません」と急に浮上する熱と共に吐き出した。
「今日は橿原の外の様子を見る。しかも布都彦と私の二人だけだよ?たまには良いじゃない」
「・・・・・・ではお言葉に甘えさせて頂きます」
「そうそう。那岐になれとは言わないから。せめて風早くらいにね」
くすくすと笑う少女は布都彦にとって一番守りたい大切な存在。
それは中つの国を守る長である少女であり、幾度も共に戦ってきた仲間。
「今日もね、布都彦がいるから心配ないって言ったのに、風早ってば色々と心配するんだもの」
「姫は大切な人ですから。風早殿は昔からそうかと」
「まぁ、そうなんだよね。昔から変わらないと言えば変わらないんだけど」
口を尖らせながら言う少女――千尋はねぇ、と布都彦へと問いかけた。
「今なら布都彦もお兄さんの気持ちわかる?」
「姫?」
急に兄の話を振られ、布都彦は千尋の顔をまじまじと見つめた。
くすりともれる千尋の笑みの向こうにあるのは桃の花。
「私、姉様の気持ちわかる。もちろん国の皆を守りたいって気持ちもあったけど、それよりも一番守りたいものがあった」
「・・・・・・最初はなぜと言う気持ちがありました。でも今ならわかります。兄の気持ちが」
何にも代え難いものはある。それは兄にとっての主君であり、大切な愛おしい人。
そしてまた自分も守りたい人がいる。
「守りたいものがあるって素敵だよね。―――布都彦にとって、私はそうなれる?」
真っ直ぐな瞳が布都彦の瞳を射抜く。
華奢な身体で国を背負うその瞳に今映るのは自分だけ。
「いつも姫は私にとっての守るべき存在です。大切な人に変わりはありません」
「それって国の王だからって理由?」
「姫?」
千尋の言葉の意図が測れず、布都彦は千尋へと問う。
なぜそのようなことを口にするのか。その言葉は自分の良いようにしか解釈できないと言うのに。
「ごめん、何言ってるんだろ。私・・・・・・」
「王だからと言う理由だけではありません」
布都彦はきっぱりと言葉を言い放ち、逆に驚いたのは千尋の方だった。
瞬きを繰り返す千尋に布都彦は穏やかな気持ちで言の葉を口にする。
もう二度と口にすることはない、そう思っていた気持ち。
「あなたを・・・・・・ずっとお慕いしております。その気持ちを糧に私はあなたを守りたい、そう思っているのです」
「布都彦・・・・・・」
誰かに咎められようともこの気持ちが変わることはない。
礎となり、糧となるこの気持ちを誰に止められようか。
「ありがとう。布都彦。私、嬉しい」
小さく微笑みながら千尋は布都彦の上に緑が茂る木を見上げる。
布都彦もまた千尋の向けた視線の先を追う。
緑茂る木々。
豊かな自然。
守りたい愛おしい人。
「姫、少し移動しませんか?今日の風は柔らかく凪いでいます」
「そうね。布都彦、次はどこへ行くの?」
「花が咲く地へ。姫が好きそうな花が咲いているかと」
「お願いね、布都彦」
「はい」
彼女が見据える未来がどれだけの苦難が待ち構えているのかわからない。
でも、と布都彦は思う。
たとえどんな困難な未来だとしても、この少女がいる限り自分は守りぬくのだと。
愛おしい存在、それが布都彦の糧となるのだから。
優しく強い少女のために、この手に誓う。
兄上、私は千尋を守りたい、そう思います。
高く広がる雲はゆっくりと流れ行く。
空を仰いで、風が抜けて行く傍で少女の笑みを見つめ、布都彦もまた笑い返した。
終