「あ、一番星」
可愛らしい声に思わずはっとして空を見上げる。
茜色の空の中で光る星を見つけ、ああ、と布都彦は頷いた。
頷くと同時に、布都彦が振り返るとそこにいたのは千尋だった。
「姫」
「私が布都彦を見つける時っていつも稽古をしてるのに、今日はぼーっとしてたから何となく気になって」
布都彦が理由を問う前に、千尋が答えを口にした。
ああ、なるほどと布都彦は頷くと茜色の空を仰ぎながら呟く。
「こんな日はあの日のことを思い出すのです」
「あの日?」
「兄が出て行った日、あの日もこんな明るい空でした」
「そっか・・・・・・」
明るい空、そして夜には急に嵐へと変わった、変な胸騒ぎのする日だったと布都彦は記憶する。
布都彦の兄がいなくなった日、それは千尋の姉がいなくなった日でもあった。
二人が何を思ってこの中つ国から姿を消したのか、それは布都彦にも千尋にもわからない。
千尋にはあの頃の記憶は曖昧なものでしかない。あの日の空がどうだったのかなど覚えているはずもなかった。
でも、何となく分るような気がするなと千尋は思う。
今にも泣きそうな紅い空、それが何となく感じる千尋の答えだった。
「兄は確かにお調子者の面がありました。ですが、兄の行動には必ず理由があった、
だからこそ兄にはこの国を捨てるようなことはしないとそう思っているのです」
「布都彦はお兄さんが好きなんだね」
布都彦の言葉も態度も全てが理由だった。
どんなことを他人から言われても布都彦は兄のことを悪くは言わない。
千尋にもあるように、布都彦にも同じような想いがあるのだろう。
「私は兄を尊敬しています。それは今でも変わりません」
決して越えられない壁。兄はそういう存在。
人は過去を美化すると言うが、美化しているのではなくそれが本当のことだと布都彦は知っている。
兄のことで何を言われても我慢してきたのは、兄を尊敬しているから他にない。
「私もね、お姉ちゃんのこと嫌いじゃない。むしろ私にとって一番頼りになれる人だったもの。風早とは別の意味で」
布都彦は千尋の言葉に頷くと言葉を継ぐ。
「兄も一の姫も、恐らく何か思うことがあって出て行った、そして帰ってこなかった、それが真実だと私は思います。
兄のことを恨まなかったとは言い難いですが、少しずつ年を経て、そう思うようになりました」
他の人から見れば滑稽かもしれませんが、布都彦は苦笑いを浮かべて呟く。
布都彦の家は兄が出て行ってから衰退の道を辿った。
人々に罵られ、失意の中亡くなった者は沢山いるのだと風早が言っていたことを思い出す。
それでも布都彦はそれに耐えながら生きている、そんな姿を見て千尋はむしろ好感を持ったのだ。
ある意味同じような想いを抱える同士だと千尋は感じていた。
千尋はううん、と首を横に振って言葉を口にする。
「『あなたは素直で良い子よ』、それがお姉ちゃんの口癖だった。龍の声が聞こえない、そう言った時のお姉ちゃんの声。
お母さんはがっかりした顔をしてたけど、お姉ちゃんだけは違った。ただ哀しそうに笑ってた」
記憶が曖昧なんだけどね、千尋は続ける。布都彦は黙って耳を傾けていた。
「多分出て行く前の日だったんじゃないかな。哀しそうに笑って言うの。
『龍の声なんて聞こえない方がいい、あなたはあなたのまま生きなさい』って。あの言葉の意味、まだわからないけどね。
でもお姉ちゃんは何か考えることがあってこの国を出て行った、私はあの言葉がある限りそう思ってる」
多くの言葉を言わなかった姉。
千尋の中で記憶が曖昧ではあるけれど、少しずつ思い出した記憶から導き出した答え。
同じ想いを抱える布都彦だからこそ言える言葉。
「ええ、私もそう思います。・・・・・・正直、私はこんな話をしていいものかと思っていました」
「え?」
「兄は姫にとって一の姫をこの国から連れ去った人です。恨まれても仕方がない、そう思っていました」
「布都彦・・・・・・」
「でも、今の言葉を聞いてほっとしました。そう思って頂けるなら兄も本望でしょう」
二人が選んだ道は決して良いとは言えない。
けれど、少しでも理解してくれる人がいるなら救われる。
布都彦は新たな気持ちで言の葉を紡いだ。
「あの一番星に誓って言います。私はこの命がある限り、姫を守り抜くと」
誓いの言葉。
それは、布都彦から千尋への想い。
「・・・・・・お願いね、布都彦」
「はい」
堅庭から覗く茜色の空の下、長い影を連れて二人は言葉を交わす。
固い信念を抱いた瞳は真っ直ぐで強い。
想いを胸に、空の色を焼きつけた瞳が一番星と共にこの日を忘れることはなかった。
終