本当に風の吹く音が聞こえてきそうなくらい寒い日の夕方だった。
夏であれば茜色に染まっているはずの時間は、夜の闇に覆われている。白い息がこぼれ落ち、空には星が綺麗に輝いていた。
再び白い吐息がこぼれたのをチナミは横目で隣で歩いている少女を盗み見ていた。鼻の頭は少しだけ赤い。
「あ、チナミくん」
何かを思い出したのかぱっと表情を変えて少女は訊ねる。
「え? あ・・・ああ、どうした?」
思わず驚いてチナミは動揺の色を見せた。自分が見ていたことに気づかれたのだろうか、いやゆきのことだから気づいていないはずなんだが、と一人突っ込むものの慌てて返すのもなんだと思い、少女――ゆきの言葉を待った。ゆきはそんなチナミの様子に気づくことなく話を続ける。
「週末、博物館に行こうって話ししてたでしょ?」
「ああ。どうした? 都合でも悪くなったとか・・・」
「ううん、そうじゃなくて。その帰り道に行きたいところがあるなーって思って」
「行きたいところ?」
「うん。ダメかな?」
やや上目遣いに訊ねるゆきに対し、チナミは「別に構わないが」とだけ返した。急にゆきが言うのだから何か理由があるに違いはないのだろうと思うのだが、如何せんその理由が思い浮かばない。
「良かったぁ。ありがとう、チナミくん」
「いや、別に・・・・・・」
ありがとうといわれても何がどうありがとうなのかわからないチナミは首を軽くもたげた。
そもそもどこに行きたいのか見当もつかない。だが、良いと言ってしまった以上どこに行きたいのか聞きにくくなってしまったのも事実。先になぜ聞かなかったんだと自分に突っ込んだところで時を戻すことはできなかった。
暗闇の道に白色の電灯が灯る。淡い白の光が道を照らし、その下を歩きながらチナミはぼんやりと考えていた。
その最中、ゆきが突然チナミを止める。正確に言えばゆきがチナミの手を取って止めたの方が正しいのだが。
「チナミくん」
「どうした?」
「寒くない?」
「え? ああ、まぁ、寒いが・・・・・・」
「だったら、これ買わない?」
ゆきが指差した先にあるのは道端で明るい電飾が主張するもの――自動販売機だった。
「――は?」
突然言い出したゆきの言葉にチナミは目を丸くする。急な話は週末の出かける話だけではないらしい。ゆきはと言うと「ダメ?」と少し不なんそうな表情を見せてチナミを見上げていた。
「・・・いや、構わない。何が飲みたいんだ?」
「あ、これ飲みたい。ミルクティー」
「わかった」
鞄を持つ手を変えてチナミは財布を出して小銭を出すと、赤く光るボタンを押した。がこん、と大きな音を立てて落ちてきたペットボトルを手に取るとゆきへと手渡す。ゆきはと言うと飲み物を受け取り、慌てながら鞄の中に入っている財布を取り出そうとしている。それを見てチナミは「いい」と断りを入れた。
「でも、」
「オレが買うついでだ。オレの方が財布を出すのが早かったんだ。気にしなくていいだろ」
気にするな、ともう一度念を押してチナミは自分で飲む飲み物を自動販売機から購入した。チナミは普通のあたたかいお茶を買う。ペットボトルのあたたかさが手にじわりと滲んでいた。
少し躊躇いながらもゆきはミルクティーの蓋を開けてこく、と一口口にした。
「あったかい・・・・・・」
ほっと息を吐きながらゆきが言うとチナミはそうか、と首を縦に振った。チナミもまたあたたかなお茶に口をつけて紅茶を飲むゆきの横顔を盗み見る。まだチナミが奢ってくれたことに抵抗あるのだろう、躊躇いながらも再び紅茶に口をつけて飲んだ。
こく、と喉を鳴らしながらゆきはミルクティーを飲むと、そうっとチナミへ視線を向けた。刹那、ゆきの視線がチナミの視線に追いつく。思わず声をなくして二人は互いの瞳に見入っていた。
穢れを知らない澄んだ眼差しはチナミの心を揺さぶる。ゆきはじっとチナミを見上げて何かを考えているようだった。チナミはその瞳に魅入られる。だが、すぐに頭の中に浮かんだそれはチナミの心を揺り動かしていた。
「あ・・・・・・」
「ねぇ、チナミくん」
「何だ?」
あのね、と言葉が続くよりも先にゆきは自分よりも大きい瞳が瞬きをしながらその手を取った。え、と声を挙げる暇もなくチナミの手はゆきの手が捉える。ぱちり、一度瞬きをした。
「ゆ、ゆき!?」
「こうしたらもっとあったかいでしょ?」
ふふっと笑ってゆきはチナミを見上げる。いいアイディアだと思ったこともあってその手を取った。もちろん、この紅茶やお茶が温めてくれることは分かっている。でもどうせならばもっとあたたかな方法で冷たくならないようにしたいとゆきは思っていた。その結果がこれだ。
「・・・ゆき・・・・・・」
「嫌だったら手を離すけど、嫌じゃないならこのまま帰ろう」
ね、と同意を求めるゆきの瞳は少し照れくさそうな色に染まる。頬が俄かに紅いような気がしたのだが、この暗闇の中でははっきりしない。手と手を重なっているところに熱が帯びる。初めてではないはずなのに、いつもゆきの行動にチナミは驚きつつも理解を示したことは何度でもあった。
「い、嫌なわけがないだろう!むしろ嬉しいに決まってる!」
はっきりときっぱりと言い放ったチナミに驚いたのはゆきの方だった。やや早口だったのは緊張しているから、ほかにない。
「チナミくん・・・・・・」
「オレはいつだってゆきのことが好きだ! 大好きだ! 手を繋いで嫌なわけがないだろう! むしろすごく嬉し・・・・・・」
はっと自分の言った言葉に気づいてチナミは言葉をぶったぎった。照れくささから素直に言うには勢いがなければ言えない。そんな自分に軽く舌打ちをした。何こんな道端で言っているんだ、そう言ったところで言った言葉は撤回することができない。ああ、もうと開き直りを決め、チナミは手を握り返す。握り返すと自分のコートへとその手を入れ込んだ。
驚いたのはゆきの方。握っていた手がチナミのコートの中へと入り込む。
「・・・寒いだろ」
「え?」
「あったかくなるまでだからな! それまで使っていい」
ぷい、と逸らした眼差しが向けたのは遠い夜の星だった。
頬に冷たい風が吹きつける。落ち着かない心を胸に手を握り締めたままチナミはゆっくりと歩き出す。
またゆきも一緒にその歩みを続けた。
暗闇の中で確かにある絆が二人の距離を縮める。
きっとお互い顔を紅色に染めていることは分かっていること。
だが、これが嫌ではない。むしろ嬉しいことこの上なく、その気持ちを抑えて二人は星を眺めていた。
今はまだこれが精一杯。
ぶっきらぼうな優しさが胸を打っていることを知っていても気づかないふりをして。
照れくささを残して二人はそっと笑いながら幾千もの星を仰いでいた。
それからそれからお出かけ当日―――。
「ゆきの行きたいところってここか?」
「うん。ここだよ」
ゆきがチナミを連れて行ったのは古書のある古本屋。たくさんの古書が並んでいた。
もともと書物を読むのが好きなチナミが喜びそうだなぁと思って選んだ場所。
「嬉しくない?」
「い、いや! すごく嬉しいんだが・・・こういう場所へ行くと入り浸るかもしれないぞ」
自分の性格上、ゆきを置いて本を読んでいる可能性もなくはない。
ゆきが古書を読んでいる姿と言うものは見かけたことがなかったため、チナミは少し困った顔をしていた。
うん、とゆきは頷いて答える。
「私ね、少し先にある店で洋服を見たいの。でも女物のところを見てもチナミくんは面白くないでしょ? だから、私が服を買っている間にチナミくんはここで本を読んで待ってて」
以前、チナミが買い物に付き合ってくれたことがあった。だが、女物のところであるため、男性も連れて、というのは少し目立つ。居心地悪そうにしていたチナミを見てゆきが考えた案だった。博物館を見るのはもう終わってしまったこともあり、目的はもうない。
「え? あ、確かにそれは否定できないんだが・・・でも、」
「大丈夫、すぐに戻ってくるから」
じゃあ行ってきます、とくるり、踵を返してゆきは駆け出した。その背中を見送りながらチナミは頭を軽く掻く。
確かにゆきが買い物をしやすいようにと考えるとこの案は悪くない。だが、気がかりなのはぼやっとしているところだ。
特に変な男に絡まれやすいことを考えるとあんまり喜ばしいことでもない。また絡まれたら、と思うと頭を抱える。
「〜〜〜〜っ! ああ、くそっ!」
チナミは舌打ちすると古書店へと入っていく。ゆきの気持ちの手前、その案には一応乗っておくが、ある程度読んだら迎えに行こうと決めた。そうでなければ落ち着かない。
いらいらしているような、それでいてゆきの気遣いに自分が情けなくなるやら、でもそうやって自分のことを慮ってくれたことはうれしいわけで。
複雑な胸中が垣間見えたデートの日だった。
終