1 意味深に誘います
どうしてそれを選んでしまったのかなんて誰も知らない。
はぁと一つため息をついて朔はもう一度ちくちくと痛む視線から逃れた。
背を向けたところでどうにもならないことぐらいわかっているのに。
「朔殿」
その声はどこまでも甘美で、忘れかけていたその想いを揺るがす。
好きでいたいのはあの人のはずなのに、ゆっくりと消えてゆくその想いが苦しくて。
でもその声音に耳を傾けてしまう自分がいることも知っていた。
「な、何・・・弁慶殿?」
恐る恐る答えるとくすっと笑みがこぼれる。
背中越しに感じて俄かに頬を紅潮させていた。
「そんなに構えないで下さい。悪いことをするわけではありませんから」
「当たり前です。悪いことなど・・・」
「そちらが希望でしたらそちらでも構いませんよ」
自分よりも少し年上だからなのか、余裕に満ちた声は自分の神経を尖らせる。
思わず振り返って睨みつけると笑顔のままで見つめられた。
「そんなの望んでないわ」
「ええ。わかっていますよ。・・・・・・行きませんか?」
「え?」
「見晴らしの良い場所を見つけたんです。一面がきれいな花畑でしたよ」
「え・・・えぇ。構わないわ」
「では」
そう言って差し出したのは弁慶自身の手。
一瞬戸惑うもその手にそっと手を差し出した。ゆっくりと弁慶の手が自分の手を包み込む。
少しだけ帯びる熱が更に自分の熱を高くする。
もうどうしていいのかわからなくて、でもその手を離すことは憚られて朔ははぁと一つため息をつくと握り返した。
囚われている心に気づくのはそれからすぐのこと。
了
2 余計なこと 言わないで
言わないで、お願い。
黙っていて。
その口を封じさせたいのにできない。
「僕は」
一つ一つの言葉に神経を尖らせて。
「あなたのことが―――」
言わないで。
言葉にしないで。
背を向けて頑なに拒否しているのに、それでもあなたはそれに頷かない。
その言葉を聴いてしまえば、もう後に戻ることはできない。
変えないで。
もう少しだけ、このままでいたいのに―――。
了
3 今は、あなただけ
気づいたら視線は貴方を追っていたんです。
なぜと問われてもそんなのわからなかったけれど。
あの人がいなくなって随分と時が経ってしまったことは、
何よりも自分にとっての苦痛でしかなかった。
自分はここにいるのに、あの人はいない。
突然いなくなってしまった最愛の人。
不器用だけど、とても優しかったそのぬくもり。
一日、一日経つ度にそのぬくもりを忘れてゆく自分がまた苦しくて。
「あなたを忘れたくなどないの」
だって私にはあなただけ。
後にも先にも心から愛していると感じるのはあなただけだから。
だから、どうか。
今はあなただけを見ていたい。
もう一度あなたに触れたいと願うのはワガママですか?
その視線が誰を追っているかなんて一目瞭然だというのに。
悲しそうな顔をしてぎゅっとその手を握りしめる彼女を遠くから見つめる。
誰を想っているか解っているはずなのに。
痛いほど知っているくせに考えて欲しくないなどと子供のワガママのような言葉を浮かべた。
大の大人が何を言ってるんだ、と言っても欲とはそんなもの。
それが子供の方が純粋で、大人は淀んだ想いを含めてることが多い。
ワガママだとわかっていても。
誰を想っているかわかっていても。
少しだけでいい。
どうか、自分を見つめて欲しいと願ってしまう。
それが叶わないと解っていても尚。
あなたに恋焦がれてしまったその日から胸の奥に燻る小さな火がそこにはある。
了
4 夜とお酒と甘い言葉
上手いことばかり言うから本心じゃないって思っていたの。
だって片手にはお酒が入っている器を持っていたのだから。
「朔殿は綺麗ですよ」
「お酒が入ってる状態でそんな言葉聞いても嬉しくも何ともないわ」
「お酒が入ってなくともいつもそう思っていますけどね」
「相変わらず口が上手いこと」
「本心なのですけどね。僕は信用されてないようだ」
「それは日ごろの行いを省みては如何かしら?」
「はは。確かにそうですね」
笑って言うその顔はいつもと違って本当に心から笑っているようだった。
いつも見せる微笑はどことなく淋しさを感じさせていたのに今は微塵も感じない。
何だ、そういう顔も出来るじゃない。
肩を竦めて小さな声で呟く。
いつだってそういう顔をしていれば良いのに。
その想いが叶うのは随分と先のことだと気づくにはまだ時間が足りなかった。
桜が舞う夜の風はどこまでも緩やかに流れてゆく。
了
5 本気には、 なりません
馬鹿なと言ったところで歯車が動き出しては元に戻ることなどできはしない。
口は災いの元といったのは誰だったのか。
それを肌で痛感してしまうなんて誰も予想しなかった。
「言ったのはあなたですよ」
そう言われてしまっては口に出すこともできないと朔は一人ごちる。
ごくりと溜飲が下がり、冷たい汗が滲み出た。
掴まれる腕は熱を帯びていた。
「だからって・・・・・・」
「僕がいつ本気ではないといいましたか?」
「・・・・・・・・・」
返す言葉もないとはこのこと。
最初は冗談のつもりだった。なぜ、その言葉に返してしまったのかも今では不明。
ぐいっとあごを上げられ、じっと彼の人を見つめると言うよりも睨み上げていた。
そんなこともわかっていると言った風な笑顔で自分を見下して。
その余裕が悔しい。
「あなたはいけない人ですね」
慣れたはずの小さな言葉を口にして近づく影に瞳を閉じた。
本気にはならないと決めていたのに。
本気になるはずなどなかったのに。
その答えは自分の胸の中に。
囁く言葉に甘い吐息を重ね、言葉はその唇に飲み込まれる。
今、本気でないと言ったならあなたはどんな顔をするのだろう――――。
終