人間、そう甘くはないということは知っていた。鈍感なゆきのことだから別に気にしてないと思っていたのだが、さすがに気になったらしいことは手に取るようにわかった。ただ、その先の解決の糸口が見つからない。どうしたらこの状況を打開できるのか、チナミは知りたかった。
事の発端はチナミが手提げ袋に入れて持ってきたものにあった。いつも学校帰りは玄関で待ち合わせているため、少し早く着いたゆきがチナミを待っていた。チナミはこの紙袋を持つ羽目になった経緯を思い出す。男子は技術、女子は家庭科と分かれていたこともあり、クラスの女子から調理実習で作ったからといくつか貰ったのがキッカケだった。
チナミもチナミで素直に貰ったのがまずかったことは後から気づくのだが、その時はただ「ありがとう、すまない」の繰り返しで、他学年の女子からもカップケーキやらクッキーやらと貰ってしまったのだ。気づけば紙袋にそれは仕舞われ、クラスメイトからは恨み節のような言葉を貰ったものだから、チナミも困惑していた。
「お前さ、彼女に怒られても知らないぞ」
クラスメイトの一人に言われ、軽く流した。
「ゆきが怒るわけないって」
笑って返したが、少しだけ実はチナミも気になっていた。さすがにこんなにたくさん貰ったことはない。恐らくくれた人間達のほとんどは、チナミが一人暮らししていて、色々と節約を知ってのことだということも予想ついていた。くれた人間のほとんどは「生活の足しにして」の言葉が多かったから。
だが、ゆきはこれを見てどう思うだろうか。いつものように何とも思わないのか、それともさすがに多いと呆れるのか。
「まさか、怒りはしないだろ・・・・・・」
一人呟いた言葉に後々後悔する羽目になろうとはチナミも予想つかなかった。
ゆきはチナミの手提げの紙袋を見て怪訝そうな表情を浮べていた。
待たせてごめん、とチナミが謝ったことに対してのものなのか最初は気づかなかったのだが、どうやらこの手提げ袋に対してそう思っていたらしい。黙って歩くゆきが少しだけ怖くて、チナミは何となく話をしてみるものの「そう」とか「ふぅん」の繰り返しで、話を聞いているわけでもない感じに話を流す。とうとうチナミ自身も痺れを切らして思い切って話をしたのはゆきの家の近くにある公園だった。
「いつまでそうやってるんだよ、ゆき!怒ってるのか?何がいけなかったんだ?」
チナミの荒げた声にびくりとゆきの肩が震える。言い過ぎたと思った時には遅かった。
瞳にうっすらと涙をためてゆきは言う。
「怒ってなんか、いないもん・・・・・・」
「じゃあ、」
「チナミくんに対して怒ってるんじゃないよ。私自身に怒ってるだけだから」
「え?」
きょとん、と紅い瞳が瞬きをした。言われたことの意味がわからなかったこともあり、チナミは首を傾げる。
どうして自分に怒ってるんだろうか、理解ができなかった。
「ごめん、ゆき。オレ、よくわかってないんだが・・・」
ゆきの苛立ちの理由が理解できないチナミはもう一度問う。しつこく聞くのもどうかと思うが、分からない以上ちゃんと理解したいと思うのが筋で。
「どうし―――」
「おーい、ゆき!チナミ!」
別の道からすらりとした短髪の女性が歩いてくるのが見え、チナミは声ですぐに誰か理解する。それはゆきも同じだったようで、弾かれたように顔を上げて駆け寄った。
「都・・・!」
「お?何、ゆきどうかしたのか?ゆきの方から寄って来るなんて久々・・・」
駆け寄ったゆきはそのまま都の胸に飛び込んだ。チナミはそれを見て半分複雑な気持ちを露にする。前からそうだが、都とゆきは仲がいい。自分の入る余地もないくらい。だが、この状況で都の胸に飛び込むのは少しまずかった。
「ん?ゆき、どうした?って・・・・・・チナミ」
「言っとくけど、オレもわからないからな」
「はぁ? 何言って・・・」
お前が泣かしたんじゃないのかと都の顔は訴えていた。だが、理由がわからない以上、チナミもお手上げだ。その空気を読んだのだろう、ゆきは首を左右に振る。
「違うの、都。私が悪いの!」
「ゆき?」
薄く眉間に皺を寄せた都はゆきの頭を撫でながら小さな声でゆきに尋ねる。何をこそこそとしゃべっているかわからないチナミはどうしていいのかわからないこともあり、手持ち無沙汰に鞄を持つ手でぶらぶらさせた。すぐ近くにあった木の葉をむしったり、空を仰いで見たりするものの、ゆきと都の様子が木になって仕方がない。
話が終わらないようなら家に帰ってしまおうかと半分投げやりになりかけたくらいに都がチナミを呼ぶ。
「チナミ」
「・・・何だよ」
「お前のその袋、調理実習のあった子達から貰ったんだろ?」
「・・・ああ、そうだけど」
「貰った理由は?」
「生活の足しにしてくれっていうのがほとんど。あとそれ以外は、良かったらってくれた」
「ふぅん。だとさ、ゆき」
こくりと首を縦に振って答えたゆきが少し紅くなった瞳をごしごしと擦ってチナミがいる方へと数歩前に出た。ゆきが都の傍から離れると都は小さく笑ってくるりと踵を返す。遠ざかるその背中を見つめながらチナミはただ黙ってゆきの言葉を待っていた。
ゆっくりと唇が開かれるとゆきの口を突いて出たのは謝罪の言葉。
「ごめんなさい、チナミくん」
「いや、別に・・・・・・」
「全部、チナミくんに対して好意があるものだって思って。・・・チナミくん、モテるから」
「は? 何、言って・・・」
「だって!私のクラスの子でもチナミくんのことかっこいいって言ってる子とかいたもの。私よりも彼女らしい子とかいるし、自分に自信なくなって・・・・・・」
それで自分に苛立っていたのか、とチナミは漸く理解する。自分も軽率な行動だったことに気づいたチナミは「オレの方こそごめん」と素直に謝った。自分が逆の立場なら面白くないと思うに決まっている。軽はずみな行動だったことを知ると同時に一つの可能性に気づいた。
「ゆき、もしかしてヤキモチ・・・・・・」
かあっと頬を赤に染めてゆきは俯く。ゆきがヤキモチを焼いてくれた、その事実はチナミの心の中に一筋の光となって現した。あちらの世界と行き来していた頃は、むしろ自分の方がヤキモチを焼くことが多かった。こっちで生活し始めてもゆきを狙う不届きな輩に何度苛立ったか知れない。自分ばかりがヤキモチ焼いてばかりだと思っていたのだが。
「わ、私だってヤキモチ焼くもん。チナミくん、かっこいいし、すごく頼りになるし」
だからあげた子が少しだけずるいって思ったの、そう言うゆきの顔が紅色に染まる。チナミは止めていた足を再び前に出してゆきに歩み寄ると、ゆきの頭を抱き寄せて小さく笑った。
「そういうのはオレだけだと思ってた」
「そんなこと、ないよ?」
「そんなことある。お前が気づいてないだけだ」
「そう、なの・・・・・・?」
「オレはしょっちゅうだし、慣れてる。でもゆきは初めてだったんだろ?こうやって自覚するのは」
こくり、頷いてゆきは答えた。だから戸惑ったのだ。いつもなら気づいた時にはもう既に事は終わっていて、軽くずるいなぁとかかっこいいから仕方がないのかなとか諦めることができる。だが、リアルタイムの状態で気づくのは初めてだった。それだけ動揺したと言っても間違いはない。
「オレばかりがそう思ってると思ってたから、逆に少し安心した。ゆき、」
「なあに、チナミくん」
「ごめんな。それから・・・ありがとう」
「え?」
「ヤキモチ焼いてくれてさ。ちょっと嬉しい、オレ」
くすくすと笑いながらチナミは耳元で囁く。ゆきの耳に届くように、言葉を確実に伝えられるように。
「今度ゆきのクラスが何か作ったら食べさせてくれ」
楽しみにしてる、と言ったチナミの声にゆきは自分の鞄を開けてがさごそと何かを探り始めた。
鞄の底に眠っていたのは一つの袋。頭を抱き寄せていたチナミは急に何かをし始めたゆきの行動が気になって腕を離すと、ゆきが目の前に差し出したそれを見て大きく目を開いた。
「チナミくん、これ・・・・・・」
「もしかして、今日ゆきのクラスも?」
そのパッケージの中身は形からしてカップケーキなのだろうことはチナミにも予測がついた。首を縦に振るゆきの手からそれを受け取る。
「本当は私が一番に渡したかった・・・ってそう思ったの」
ヤキモチはもちろんだが、それ以前に自分よりも先に渡した人がいたことにずるいと感じたのがそもそもの始まりだった。
チナミは袋からそれを取り出して手に持つとぱくりと一口口に含む。驚いたのはゆきの方だった。いきなり食べるとは思わなかったため、きょとん、と大きな瞳をぱちと瞬きを繰り返す。
「ん、美味いな、これ」
「チナミ、くん・・・・・・?」
「好きな人から貰ったものは一番最初に食べたいだろ」
そんな当たり前の話だろと言い切るチナミにゆきはくす、と笑っていた。チナミらしい回答と言えば回答なのかもしれない。チナミらしい態度にゆきの表情は柔らかになる。だからチナミには勝てないなとゆきは思っていた。
チナミは口に含んだカップケーキを食べながら思う。ココア味であるこのカップケーキはココアから作っているため、少しだけ甘さが控えめになる。ほろ苦い、ちょうどいい甘さ。
「ゆき」
「うん?」
「オレはゆきのことが好きだから。それだけは覚えといてくれ」
チナミは俄かに頬を紅に染めて呟いた。ゆきははっと顔を上げて言葉に頷く。
「私も。私もチナミくんのことが好きだよ」
傍にいる理由なんてそれ以外の何ものでもない。好きだから傍にいたい、その気持ちがあるからこそ今ここにいる。
恋は甘くて苦い。
このカップケーキのように甘くて少し苦い味がする、それが恋愛というもの。
「今度からは気をつける」
「うん。お願い、します」
くすくすと笑いながら茜色に染まりつつある太陽の向こうへとゆきとチナミは仰ぎ見ていた。
甘くて苦い恋を知った日のこと。
それは変わらない日常の中であった、小さな事件。
終