不定期に開催される学内コンクールも無事に終了した。
気がつけばヴァイオリン・ロマンスが成就され笙子の先輩は渦中の人となっていた。
ヴァイオリンが結んだ恋の糸と重なり合う音色は放課後にトランペットとの合奏が
物語っていた。自分は目の前の曲に一生懸命で、恋をする余裕がなかったと言ったら
彼女ははにかみながら教えてくれた。
「どんなに忙しくても、恋に落ちることはできるんだよ。」
そう言った先輩はバイオリンケースを大事そうに抱えて恋人が待つ屋上へと行ってしまった。
残された笙子は音楽室でクラリネットを弄んでいる。その時、後ろから声がかけられた。
「久しぶりだな、冬海。」
「つ、土浦先輩!あ、あの、こ・・・・・こんにちは。」
突然声をかけられ、驚きながらも挨拶をした笙子に土浦は目を僅かに細める。
「なあ冬海、金やん見なかったか?」
「い、いえ・・・・。まだ此処には来ていないみたいで・・・・・。」
「またか。何処でさぼっていそうだよな。」
コンクール中も色々な口実を設けて息抜きをしていた金澤を思い出した笙子は笑った。
それにつられるように土浦も優しい視線を笙子に向ける。
「まあ、いないなら勝手に借りていくか。」
「え?」
「CD。金やんに借りる約束していたんだよ。」
そう言って準備室へ向かう土浦の後を笙子は追いかけた。ノックもせずにドアを開けた土浦はCDが入っている棚へ向かったが、笙子は視線を外に向けた。
その時、木の陰で重なるように二つの影が動き、思わずジッと見つめた笙子は影の正体が教師である金澤と先輩である天羽だとわかり腰を抜かしてしまった。
驚いたのは土浦である。突然笙子が座り込んでしまったのだから、どうしたのか、と駆け寄る土浦の視線にも笙子と同じ影が写る。木に寄りかかる天羽の顔に金澤の顔が
寄っている。二人が何をしているかは一目瞭然だった。それ以上見てはいけない気がして土浦も咄嗟に座り込んでしまった。
「マジかよ・・・・・・今の・・・・・。」
手を額に当てて眉間に皺を寄せている土浦とは対照的に、笙子は両手で口もとを覆うようにして黙り込んでいた。
「冬海・・・・お前も・・・見たんだよ・・・な?」
土浦の問いに笙子は返事をせずに無言のまま頷く。
「見間違え・・・じゃないよな、やっぱり。とりあえず、ここを出るぞ、冬海。」
「え?」
「ここにいるわけにはいかないだろ。とりあえず、移動が先だ。」
土浦は座り込んでいるままの笙子の腕を取り引っ張って彼女を立たせる。
そして笙子の腕を掴んだまま準備室から出て人気のない場所まで引っ張っていった。
「此処まで来ればとりあえず平気だろう。大丈夫か?冬海。」
「は、はい。」
その時、土浦は笙子の腕を握ったままなのに気づき慌てて離す。
「悪い・・・・痛かったか?」
「い、いえ・・・・大丈夫です。」
笙子は頬の赤みがまだ引いておらず、俯いたままでいる。
それを見ている土浦もなんと言っていいのかわからず、所在なさげに立っていた。
少し時間が経った頃、笙子が決心したように顔を上げる。
「あ、あの・・・・・先輩。」
「なんだ?」
「さ・・・・さっきのことなんですけど・・・・・。」
「どうした?」
「み・・・・・見なかったことに・・・しませんか?」
「冬海?」
笙子の突然の申し出に土浦は目を丸くする。必死に訴えるように笙子は土浦の顔を見上げた。
「ばれたら・・・・・大変、ですから・・・・・。」
「まあ、そうだけどよ。」
「そ、それに・・・。」
「それに?」
さっきから頬を赤らめている笙子が顔を伏せ、恥ずかしげに横を向いた。
「すごく・・・・・綺麗だな、って思ったんです。」
「綺麗?」
「はい・・・・。確かに驚いたんですけれど、でも二人ともすごく自然というか・・・・。その、二人一緒の空気が素敵だな、って思って・・・・・。もちろん、先生と生徒の仲が許されるわけじゃないってわかっているんですけど、でも・・・・・!!」
突然、後ろから土浦に抱きしめられ笙子が体を硬直させる。
だが土浦は気にしないとばかりに彼女を包む腕の強さを緩めなかった。
「お前の言いたいことはだいたいわかった・・・・だからこれ以上言うな。」
「え?土浦先・・・・・。」
土浦の名を呼ぼうとした笙子の耳に他の生徒の話し声が聞こえた。話を聞かれたのか、と青ざめる笙子を宥めるように土浦は彼女の髪を撫でる。
「安心しろ・・・・あれだけ離れていれば聞こえていないだろ。」
「は・・・・はい。」
「ばらしたくないなら、これ以上は言うな。さっきのことは忘れろ。俺も忘れるから。」
「はい。ありがとう・・・・・ございます。」
「別に礼を言うことじゃないだろう?」
背中から伝わる土浦の体温と耳の側で聞こえる声にしばし恍惚としていた笙子だったが後ろから抱きしめられている状態に気づき、慌てて土浦から離れようとする。
だが、彼女が動くより早く土浦の腕が彼女を拘束した。
「もう少しこのままでいてくれ。」
「あ・・・・。」
「嫌か?」
土浦の問いに冬海は無言のまま頭を横に振る。その時、彼女の髪がサラサラと動き甘い香りが土浦の鼻腔をくすぐった。その香りを追うように彼女の髪に顔を埋める。
よりいっそう土浦を近く感じ、笙子も頬を赤くする。だが、熱いのは頬ではなく心の奥底にあるものだった。込み上げてくる熱さにおののきながらも、その熱さが心地よく感じるのだ。自分を抱きしめている温もりと同じように。
ヴァイオリン・ロマンスを叶えた先輩も、禁忌の恋をしている先輩もこの熱を感じているのだろうか?心の奥が熱くて、何かにぎゅっと摘まれているようなこの感触を。
”どんなに忙しくても恋に落ちることはできるんだよ。”
突然、普通科の先輩が言っていた言葉が脳裏に蘇る。あれはこういうことだったのだろうか?
心も体も素の部分が熱さに呑み込まれるような錯覚に目眩を起こしそうになる。
自分を包む腕の持ち主もそうなのだろうか?同じように目もくらむほどの熱さに翻弄されてくれればいいのに、と願って止まない。
くるり、と向きをかえた笙子の目に映ったのは熱情のこもった眼差しの土浦だった。
顔を近づけながら視線を閉じた笙子は気づいていない。
自分も、土浦と同じ位に熱い視線を彼に送っていたことを。
<終>