Rainy day(火日ver.) 


「あ、雨――――・・・・・・」



降り始めたその雫が私の頬に当たる。
傘なんて持ってきていなかったから、濡れて帰るしかないな、と思った。
いつもならこんな雨でも吹き飛ばしてくれそうな人がいた。
けれど、今はいない。


『ごめん、ちょっと一緒に帰れないんだ』


そう言われてから二日目。
自分の心の中でこんなにも彼が占めているだなんて思いもしなくて。
はぁ、とため息をついてゆっくりとした歩みで歩き始めた。



――――好きです




想いを伝えてしまえたらどんなに楽なのか。
会いたいのに、同じ学校にいるのに会えない。
私は普通科校舎で、年下で。
彼は年上で音楽科のある校舎で。



近いのに遠い距離。

手を伸ばせば届きそうなのに。


『火原先輩の音が、変わったとは思わないか?』


今日、たまたま練習室を使おうと来たところで、コンクール参加者である月森に呼び止められた。
音が?と問うと今までの先輩の音とは格別に違う、と月森は言っていた。
そしてその音を出すと同時に何かに迷っているのだろうな、とさえ言っていた。

先輩の中で何か変化があるんだ。
そしてその変化の中に良くも悪くも自分が関わっているのだろうと言うことだけは何となく、わかった。

そんなことを思っては泣きそうになる瞳を瞑る。
片手に持っていたヴァイオリンケースを両腕で抱え、少しだけ歩調を速めた。








「あ、雨だ」

「うん?おー・・・降って来たか」

「何、金やん雨降るって思ってたわけ?」

帰ろうと思ってた矢先に音楽教師の金澤にとっ捕まってプリントを整理する羽目になった。
お前、どうせ暇なんだろ?と一言付け加えて。
暇じゃないよと答えようとしたところで、「お前の音聞きゃわかるぞ」と先に制されたためにこうして音楽準備室にいる。

「さっきから雨降りそうな雲行きだっただろうが」

「そうだった?」

「お前は空よりもほかのこと考えてたからなぁ」

にやにやと笑って、トントンと紙の束を整えた。

「なっ・・・・・・!」

「自分の中でごちゃごちゃになってるんだろ?それで、音に迷いが出てる。柚木が心配してたぞ」

「・・・・・・・・・ちぇっ。何もかもお見通しかぁ」

「伊達に生きてるわけじゃないんでね」

吹いてはこの音じゃないと躊躇って、そして気持ちにも躊躇って。
どう、表していいのか。


わからない――――。



「お? あれ、日野か?」

金澤がタバコに火をつけようとしたところで、校門へとゆっくり歩く少女の後姿が見えた。
恐らくヴァイオリンを大事そうに抱えているのだろう。
少しもたついた足取りで歩くその後姿を見つめ、目の前にいる彼と同様に気持ちの行き場に困ってるであろうことぐらいは金澤にも見て取れた。
ったく、若いもんは。

「え?香穂ちゃん?」

その名前に反応して慌てて窓際まで駆け寄った。
見間違えるわけない、その後姿を確認する。

「あのままだと、ヴァイオリンにも悪いだろうな」

「・・・・・・・・・・」

何も答えられない。
帰れないと言ったのは、自分だから。

「風邪、引いちまうかもな」

その一言にさっと顔色を変えた。
それは、困る。
でも―――――。


「理屈じゃないだろ」

「金やん?」

「火原、職員用の傘立に一本だけ余ってるのがあるはずだからそれを使え」

金澤が言わんとすることはわかる。
今は迷っている時じゃない、そう金澤は揶揄していた。

「ありがと、金やん!」

そう言い残して、鞄とトランペットケースを抱えて勢いよくドアの外へと駆け出した。




「若いっていいなぁ」

くすっと笑って、その火原の後姿を見つめ、過去の自分を振り返る。
今の火原を見ていると、もどかしくも感じる。
だから自分ができるその背中を押すことだけ、してみたのだった。







意外と大きいヴァイオリンケースを濡れないように走るのは困難で。
走ると言うよりも、早歩きに近い速さを保ちながらひたすら歩みを進める。
後ろから足音が聞こえ、その人が雨の中、駆けるのが想像できた。
さっと視界に暗さが広がる。
何かと思って振り返ろうとした時、その声を聞いた。

「香穂ちゃん・・・・・・」

「・・・・・・・火原、先輩?」

嘘だと、思った。
振り返ろうとすると、そのまま歩こうかと言われ、振り返ることなく前を見つめる。

「どう・・・・したんですか?」

「雨、降ってるでしょ。濡れると困ったから」

その一言が、その声が嬉しくて。
見えないのをいいことに、瞳から熱いものが溢れそうになる。

「ありがと・・・ございます」


会いたい。

そう願って止まなかった人。

声が聞きたい。

それだけで良かったから。


「ごめんね、香穂ちゃん・・・・・・」

言いたいことはわかっていた。
首を横に振って、いいですよと小さな声で答える。


雨は降る。
いっそのことこの気持ちを流してくれたら楽なのにと思っていても。
それでも、好きだから、手放せないことは自分でも嫌なくらいわかっていた。


明日は晴れてくれると良いなと、せめてそのことだけ願って。