桜の季節が過ぎ、新緑の香りが鼻を掠める。すうっと息を吸い込んで深く吐き出した。
久しぶりの外で過ごす休日。
ゴールデンウィークと言うこともあって、街中は混んでいる。
「紘人ってば遅いなぁ」
約束の時間は十時だったはずだ。もう十分過ぎている。
「ま、いつものことか」
一人納得して、雑貨コーナーを見回しながら呟く。
ここはとあるショッピングセンター。
通い慣れた学校から何駅か先にある、比較的交通の便の良い所でもあった。
この春高校を卒業し、めでたく大学へと進学。晴れてほぼ自由の身となり、ある意味解放感にあふれていた。
と、言うのも高校在学中に教師と恋仲になったため、あまり外に出歩くことはなかった。
大抵紘人の家に転がり込んで二人でのんびり過ごしたりしていたから、それだけでも満足だったのだけど。
それでも、友達が彼の話をしているのを隣で聞いていると『菜美はいないの?』と問われる。そのたびに嘘をついて誤魔化す自分が少しだけ悲しかった。
でも、それは数年後にはなくなるんだと思ったからこそ、我慢していられたのだと自分でも思う。卒業した今、やっと胸を張って『私の彼はこの人です』と言えるその嬉しさはひとしおだった。でも、まだ親友には言っていない。機会がないって言ったら嘘になるけれど、親友も親友で毎日ヴァイオリンと向き合う日々。そんな彼女に言うのは何だかちょっと引けていた。
目の前にあるティーカップを見つめる。
これならおそろいで買ってもいいかも、と一人ごちていると、何やら聞き覚えのある声が聞こえた。きょろきょろと辺りを見回すと、ある一点に視線が注がれる。
「あ」
思わず見てしまった親友の姿を見つけ、こっそりとその場を後にしようと、くるりと方向転換をした時だった。
「あれ? 菜美?」
親友――日野香穂子の声が自分に向けられて、苦笑いを浮かべる。
振り向くと後輩の冬海笙子もいることに気づいた。
「あれ。香穂に笙子ちゃん。二人とも買い物?」
自分の顔が引きつってないか、それだけが心配だ。
「うん。和樹先輩たちと別れて買い物中」
ね、笙子ちゃんと香穂が笙子ちゃんに笑顔を向けた。
ってことは土浦梁太郎も一緒かと、思わず口の中で舌打ちをする。
火原先輩だけなら、とも思ったのに。
「菜美も買い物?」
「あー・・・うん、まぁ、そんなとこ」
「何、デートとか? それともお姉さんと買い物?」
「あー・・・まぁ、そうかな?」
あははと誤魔化しながら、早くその場を離れたいような衝動に駆られる。
お願い、紘人、今来るのは勘弁して。
まだ香穂にちゃんと自分の口から言ってないから。
そんな願うような気持ちも虚しく、背後からかけられた声に思わずびくりと肩を震わせた。
「菜美」
ゆっくりと首を回して、その声の方へと向く。
ジャケットを持って、いつもよりも少しだけかっこいい格好した、彼氏である金澤紘人、その人が肩で息をして立っていた。
「すまん、寝坊した・・・・・・あ」
気まずそうな顔をしてこっちを見ている。
背中越しに香穂の当惑した雰囲気が伝わってきた。
「え? 菜美? どういうこ・・・・・・」
香穂が言いかけたその時、元気な声が更にこの空気を変える。
「香穂ちゃーん! 何かいいのあったー?」
土浦梁太郎を連れた火原先輩が現れ、私たちは何とも言えない顔をして二人を見つめていた。
大波乱の時間が始まるのはまもなくのこと――――。
ただならぬ雰囲気の六人がテーブルを挟んで座る。
目の前にある飲み物は忘れられたように、誰も口にしていなかった。
私の隣で座る紘人は知らん顔しているし、笙子ちゃんと火原先輩に関して言えば香穂のただならぬ雰囲気におろおろしてるし。ため息をついて呆れた顔をしてるのは土浦梁太郎で、香穂は一番怒りモードに入っていた。
「あ、あのさ」
「菜美、どういうこと?」
私が言いかけたところで、香穂が口を開いた。
「あー・・・うん。ちゃんと言おうと思ってたんだけどね」
「いつから?」
「高校の時から」
「何で言ってくれなかったの?」
私は何でもしゃべってるのに、菜美は大事なこと全然話してくれなかったじゃない。
そんな言葉が語尾に含まれていそうな、そんな問いだった。
「ごめん・・・・・・」
頭を垂れて素直に謝った。でも、香穂が求めてる答えはそれじゃないってわかってはいる。けれど、どう説明しようと思った時、黙っていたはずの紘人が口を開いた。
「日野」
「何ですか」
「俺が言ったんだよ、言うなって」
「え?」
「紘人?」
香穂が声をあげたのと同時に私の口からも言葉が漏れる。
紘人、何を――――?
「まぁ、お前もわかるだろ?教師と生徒って言うのはやばいってことぐらい」
「それは、わかりますけど・・・・・・」
香穂は口を尖らせながら、目の前にあるグラスの中にあるストローをかき混ぜた。
氷の音ががしがしと鳴る。少しだけ俯いた香穂の頭を優しく叩いたのは火原先輩。
香穂の頭がふわりと上がる。
「香穂ちゃん。いいじゃん、ね?」
「和樹先輩・・・・・・」
「ほらほら、湿っぽい話はおしまい! 香穂ちゃん他に何か頼もうよ♪」
そう言ってメニューを差し出して香穂の前に見開いた形で見せる。
こくりと香穂が頷くとメニュー表を見つめ、火原先輩と何を食べたいかで話をし始めていた。そんな二人の雰囲気を見て、ようやく私もほっと肩を撫で下ろす。
「お疲れさん」
そう言って紘人がぽんと額を小突いた。
「あはは」
苦笑いで返すと、隣にいた笙子ちゃんがほっとしたようにティーカップに口をつける。
終始黙りに徹していた土浦梁太郎が、一口グラスの中身を喉へ流すと小さな声で呟いた。
「・・・・・・実は俺と笙子は知ってたんだけど」
「は?」
「え」
私も紘人も小さな声で驚きの言葉が口をついた。
「ちょっとな、偶然にも音楽準備室に行った時に見ちゃってさ、一緒にいるところ」
ぽりぽりと頭をかきながら言葉は続く。
笙子ちゃんは苦笑いを浮かべていた。
「え・・・そ、そうなの?」
笙子ちゃんに話を振ると小さく頷いた。
「ほー・・・そうか、そうか」
「や、そうかじゃないんだけど」
暢気そうに言葉を紡ぐ紘人に半分呆れながらも私は何かどっと力が抜けたような気がした。
知ってる人もいたのか・・・・・・。
「まぁ、そう言うこともあるだろ」
「もー、今だから言える話だけどそうじゃなかったらどうするのよ」
「まぁ、気にしなさんなって」
「これだから、紘人は・・・・・・」
呆れたり、怒ったり、泣いたり。
色々と黙っていた分、こうやってオープンにしゃべられるのはいいなと思う。
多少怒られるかなとも思っていたけれど、それは偶然にも火原先輩のおかげで緩和されたし。
今だったらほっとした分頬が緩んだままかもしれないと思った。
ぎゃあぎゃあと火原先輩と香穂が言い合って。
それを呆れたように土浦梁太郎と笙子ちゃんが見ていて。
私もそれを見ながらけらけらと笑って、隣には紘人がいて。
今までなかった幸せがここにある。
それに気づいた時、私の顔から笑みがこぼれていた。
終