少なくてももう少し先まで内緒にしておくつもりだったのに、どうしてか突然歯車がかみ合わなくなった、と言えば言い訳でしかないのは香穂子も承知の上だった。
だが、敢えて言わせて頂きたい、やっぱりこれは予定外だったのだ、ということを。
新学期を迎える一週間前、まだ春休みであると同時に校舎の中にいる人の数はまばらだった。
今ここにいるであろう人々は部活動もしくは生徒会や委員会活動等で来ている者ばかり。
そう言う自分は新入生を迎えるために日々ヴァイオリンの練習に来ていた。
それもそのはず、市の音楽祭が終わったと思えば理事長である吉羅から新入生を迎えるために曲を用意するよう言われたのだ。
こんな短い時間でと言えば、小編成で構わないということだったので、この間まで一緒にコンサートを開いていたメンバーを呼んでやることになった。
「で、香穂は何を披露するの?とりあえず土浦くんと加地くんと冬海ちゃんと志水くんと私の五人で『ルスランとリュドミラ序曲』やろうって話してたんだ」
難しいけどね、と小さく笑いながら香穂子は答えた。
「ふーん。なるほどねぇ。で、今日も練習してたってわけか」
呟きながら天羽は楽器を片付けるメンバーを見渡した。
志水や加地は弓を緩めたり、冬海はクラリネットの中を掃除していたし、土浦はピアノの譜面台に置いていた楽譜を片付けている。
「あと一週間もあるから大丈夫だよ、日野さん」
加地が弦を拭きながら日野へ向けて言葉を口にするとそうだね、と日野は頷いた。
土浦もまた小さな息を吐きながら呟いた。
「確かにあと一週間でもあるが、まだあと一週間も残ってると思った方が正しいな」
「だね。がんばろ!」
「はい、頑張りましょう、香穂先輩」
冬海の可愛い笑顔が返って来て思わず日野は満面の笑みを浮かべた。
「香穂先輩なら、大丈夫です」
志水も頷き、日野はヴァイオリンを片付け終えるときゅっとファスナーを閉じた。
さすがに結構な時間を練習に当ててただけあって疲れは出ているよう。
「あー、やっぱり何時間もやると疲れる・・・」
「でも、充実した疲れなんでしょ?」
「それを言われると返す言葉がありません」
天羽の言葉に思わず日野の苦笑いがこぼれ落ちた。鞄とヴァイオリンケースを背負い込んで日野はよし、と気合を入れる。
天羽もちょうど帰るところだったらしい、鞄を持って日野たちと校舎を後にした。
「にしても、春休みの学校は人が少ないなぁ」
「先輩達もいないしね。私達が最高学年だもん」
「今度は笙子ちゃんや志水くんが先輩になるんだね」
「あ、そうか・・・・・・」
ぼんやりと答えた志水に思わず土浦は苦笑する。
「お前、自分が先輩になるって忘れてたのか?」
「まぁ、土浦。ある意味志水くんらしいじゃない」
加地がフォローにならないフォローをすると妖精像の前に見慣れた人を見つけて思わず香穂子は首を傾げた。
あの見慣れた背格好にジャケット、今日はヴァイオリンケースを持っているのだろう、肩の横にそれを見つける。
「あ、来た。遅いだろ、香穂子」
「き・・・衛藤くん!?」
「あ、衛藤くんだ。どうしたの、日野さんに用事?」
驚いている日野の隣にいた加地が衛藤に尋ねると、衛藤は「まあ、そんなとこ」と返す。
「だ、だって今日は約束してないじゃない」
「約束してなくても会いたいって思ったら会いにくるだろ。それとも迷惑なわけ?」
「そういう問題じゃなくて・・・・・・」
言いよどむ日野は思わずちらりと自分の少し後ろにいる天羽らへと視線を向けた。
「へぇ、日野ちゃん、なにやら意味深な発言だけど、どなた?」
にこにこと笑いながら天羽は尋ねる。日野は「え、えへ」と引きつった笑みを浮かべているとひょこっと衛藤が顔を覗かせた。
「俺?俺は衛藤桐也。この学園の理事長の親戚であり・・・・・・」
「あー!ねぇ、天羽ちゃん、また今度にしようよ。私ちょっと衛藤くんに用事があったんだった!」
大きな声で遮る日野は衛藤の肩を軽く掴んで天羽らに背を向けた。
思わず衛藤はそんな香穂子の態度に訝しげな表情を浮かべる。
「何だよ。俺らが付き合ってることぐらい別に問題ないだろ。何か都合悪いわけ?」
「そんなこと言ってないでしょ。ただ、」
「ただ?」
「時期が早いってば」
口を尖らせて小声で言う香穂子にはある理由が脳裏に浮かんでいた。
天羽に自分達が付き合っていることを知られてしまうといろいろと厄介なのだ。
特にターゲットを決めたら何が何でもその口を割らせる巧みさを天羽は持っている。
「別にいいだろ。俺はむしろ好都合」
「は?」
「ねー、香穂。どうしたのさ。何、衛藤くんと何かあるの?」
鋭い答えに日野は思わず声を詰まらせ、だがすぐに立ち直る。
「べ、別に!何でもないない!」
「何でもないわけないだろ」
しれっと衛藤の声が飛び込んでくる。日野は思わずキッと衛藤を睨み上げた。
「桐也っ!」
思わず口を突いて出た言葉はいつも言い慣れていた名前。
「かーほー。名前で呼んでるってちょっと意味深じゃないの〜?」
「え?あ、あの・・・・・・」
「意味深なのは当たり前だろ」
なおも懲りずに言う衛藤に日野は非難の眼差しを向けた。だが、衛藤は知らん顔をしたまま。
「ちょっと!」
「何だよ。別に都合悪いことなんてないだろ。それとも何だ、香穂子は都合悪いのか?年下の俺と付き合ってることが不満?」
「そうじゃなくて!」
思わずお互い大きな声で言っていたことに気づき、辺りを見回すと恥ずかしそうな笑みを浮かべる者や、やっちゃったなと言わんばかりの表情を浮かべる者、興味津々で自分達を見ている者がいた。
周りにいた自分達の仲間以外にも部活動をしていた生徒が自分達を見ている。
冬海なんて赤くなったり青くなったりと動揺したまま日野を見つめていた。このコンサートを組んでいるメンバーでさえ知らないことだ。
知っているとすれば衛藤の従兄弟である吉羅だけ。
たくさんの人の前でばれること、これだけは避けたかったのに、と思っても後の祭り。
「かぁーほー。これはどういうことかなー?」
ふふふ、と笑みを浮かべる天羽に逃げ道がないと判断したのか、香穂子はがっくりと肩を落とした。
獲物を見つければ天羽は容赦ない。
「桐也のバカ」
ぽつりと呟く香穂子にぷい、と顔を逸らしたまま衛藤は知らん顔をする。
「別に、いつかはわかることなんだからいいだろ」
「それはそうだけど」
「まぁ、いい機会だから言っとくのも必要だろ」
「人事だと思って・・・・・・」
「俺にとっては大切なことだけどな」
「はぁ?」
宣言をしておくこと、つまりは牽制しておくということ。
ただでさえ学年が二つも違うのだ。衛藤にとっては大きな意味を持つ。
いいじゃん、と言う衛藤はぽつりと呟いた。
『恋人です』、と言っておくのも悪くないだろ、と。
ぽつりと呟いた言葉に思わず日野は大きく目を開いて衛藤を見上げると楽しそうに笑う衛藤の双眸を見つける。
ああ、これだから敵わないと日野は思うわけで。
「ああ、もう、完敗」
いいや、と諦めた日野にぽん、と肩を叩いて衛藤は笑っていた。
それは悔しいくらいの清々しい笑顔だったのを日野は忘れることはない。
後日、新聞に載ったのは新学期明けて早々の記事で。
もちろん一面トップだけは勘弁して欲しいという願いのもと、裏面にして貰ったものの注目を浴びるには十分だった。
「なかなか考えたね、衛藤くん」
「そう? 葵さん」
「これで全校の生徒に牽制できるって訳だ」
「別に。ただ当たり前なことを書いただけだし」
「まぁ、いいけどね。日野さん、赤くなったり、青くなったり大変だよ」
「それは、当然」
にっと笑って衛藤はじゃあ、と踵を返すと加地の元から立ち去る。
やれやれ、と肩を透かしながら加地は苦笑していた。
なかなか大変な相手を選んじゃったみたいだね、日野さんと心の中で呟きながら。
終