人生の岐路なんてもっと先だと思ってた。
けれど、それは突然訪れるのだと知ったのは、雪が舞りそうなそんな寒い日だった。
「うっわー、さっみー」
少し鼻を赤くして文句を言う顔が少し可笑しくて、苦笑いをするとそれに気づいて少し口を尖らせるのが横目で見えた。
「何笑ってんのさ、土浦」
「別に、笑ってなんかいませんよ」
「いーや、今笑ってた」
子供のように文句の言葉を並べた。
「それより良いんすか? 日野が待ってるかもしれないのに」
「うん、それはへーき。香穂ちゃん、今日天羽ちゃんたちと帰ったから」
いつもなら隣にいるはずの彼女の姿がなくて、たまたま金やんに呼ばれ、音楽室に行った帰りに声をかけられた。
『今日、暇だったらおれの伴奏して』と。
どうやらいつも練習相手をしてくれる伴奏者が風邪で休んでるらしく、推薦の実技用の練習をしたいとの申し出に二つ返事で返したのが、今となりにいる理由だった。
「なぁ、土浦」
「何ですか?」
「お前はピアノどーすんの?」
あまりにもストレートな問いに思わず目を瞠る。
迷っていたその心を持て余していたこと、それに気づかれていたことが意外だった。誰にもその問いには触れてこなかったのに。
「俺、は・・・・・・」
「おれさ、どんな形でも音楽に触れることやめないと思うんだ」
自分の答えを待つ前に、ぽつりと言葉を呟く。
その言葉に自分が怪訝な顔をし、それに気づいたのか「うん」と頷くと言葉を接いだ。
「土浦には土浦の考えがあるんだろうし、おれは首突っ込むこと無いんだろうけどさ」
「火原先輩?」
「おれは土浦のピアノ好きだなって思うんだよね。だからピアノとちゃんと向き合って欲しいって思う」
それは未来を指し示す言葉。
迷っていた何かをはっきりと突きつけられ、その答えを求められてきたのに。
それを放棄しても、どんな形であれ音に触れる機会をと、その願いだけでなぜか胸の奥が熱くなる。
「そう思ってる人だっていること、忘れないで欲しいってそう思っただけなんだ」
「火原・・・先輩・・・・・・」
「香穂ちゃん見てて、簡単じゃないってわかってるけど、でもさ、何かもったいないような気がするから。別の道を取ったとしても、弾くこと忘れないで欲しいなってちょっと思っただけ」
あはは、ごめんね、何言ってるかわかんないね。
そう言ってけらけらと笑って。その笑顔がひどく痛く感じたのは気のせいではなくて。
自分の中で疼く傷は癒えたはずなのに、痛むこの痕は。
「・・・・・・やめませんよ、弾くことは」
「ホントっ!?」
「おれ、やっぱりピアノが好きだって思うから」
「そっかー。それなら良かった」
ほっとしたように笑うその顔になぜだか泣きたくなるような想いがこみ上げる。
そうだ、俺は。
やっぱりピアノがやりたかったんだ。
サッカーも好きだし、けれどそれでは生きて行けないのは知っているから。
音楽とて生半可では通ることなどできない。
今日、金やんに呼ばれて話していた時のことを思い出す。
『お前さんも自分で道は選べよ?』
どういう意味だよって尋ねると、まんまだよと苦笑いを浮かべていたっけ。
転科するかどうかの問題で揺れていた心がようやく一つの道を模索し始める。
日野が一人で転科は心細いとか言ってたなと金やんが笑っていた。
けれど本当のところは、本音は別のところにあるんだろうことはわかっていたのだけど。
少し前を歩くその背中に呼びかける。
「火原先輩」
「んー?」
「俺、決めましたよ」
「何が?」
「これからのこと、何かやりたいことがわかったような気がする」
「そっか」
「はい」
それ以上は何も訊いてはこなかった。
いずれわかることと思っているのか、それとも予想できているのかは定かではないけれど、多分前者だろうと思う。
少し雪がちらついて、巻いていたマフラーをまた深く巻いた。
これから先のこと、親とじっくり話し合わなければならない。
けれど、なぜだか暗い気持ちにはならなかった。
あるべき場所へ戻るのだから。
過去に背を向けていた自分。
未来を見つけた自分。
きっとこの日のことは一生忘れないと、そう思っていた。
終