いつもならこんなことにはならないのに。
どうしてこうも今日に限って色々と被っちゃうんだろう。
くすんと心の中で涙を流しながら香穂子は目の前の作業に手をつけた。
「いやぁ、すまんな」
「すまんって思うならなんで私なんですかー。菜美もわかっててやってる?」
非難めいた言葉を口にすると横で楽譜をぴらぴらと煽って苦笑いを浮かべる親友が口を挟む。
「ごめんねー。悪気はないのよ、だってこれ一人で片付けるの絶対に無理だって思ったんだもん」
「そりゃあこれ、一人でっていうのは無理だけど・・・・・・って金やんはやらないの??」
「俺? 俺はこっちやってるからなー」
指の示す先にあるプリントの山を見て香穂子は頭を垂れる。
「あー、そーですかー・・・・・・」
ごめんなさい、和樹先輩。
心の中で懺悔をする香穂子は自分の恋人の顔を浮かべる。
重い足取りで楽譜の山を名前順に棚へと仕舞っていた。
抱えられたお姫様
「おっそいなー香穂ちゃん」
その頃何も知らない火原は一人エントランスの入り口で香穂子を待っていた。
今日は自分の誕生日。だからと香穂子と一緒に帰りにカフェに寄るつもりでいた。
『好きなケーキ選んでくださいね。今日は私がおごりますから!』
朝、笑顔でそう言っていた香穂子の顔を思い浮かべて頬が緩む。
「あ、火原先輩」
「土浦かー。ね、香穂ちゃん知らない?」
「あぁ、日野なら音楽準備室ですよ。天羽に掻っ攫われてたんで」
「掻っ攫う!?」
さすがエントランス。火原の大きな声に反応してかとてもよく響いていた。
土浦はその声の大きさに思わず耳を塞ぐ。
「何でも金やんから頼まれた整理が終わりそうにないからって天羽が日野を連れて行きましたけど」
「わかった! ありがと!」
火原は土浦の言葉を聞き終えるか終えないかのタイミングでエントランスを後にする。
それはもうすごい勢いで駆けていった。
そんな火原の背中を見送りながら土浦はやれやれと肩を竦めたのだった。
「あー、あと半分」
香穂子はようやく先が見えてきた楽譜の片付けにほっと一安心する。
「ごめんね、香穂」
「いいよ。困った時はお互い様でしょ」
多分、和樹先輩待っててくれてるような気がするし。
妙な安心感で答えたのと同時に、なにやら廊下から勢いのある足音が聴こえてきた。
「ん? 何・・・この音」
「あー、やっぱり来たか」
「は?それってどういう・・・・・・」
金澤の言葉の意味を問いただそうと口を開けかけたところでバンと勢いよくドアが開く。
肩で息をしている火原の姿がそこにあって香穂子は驚いた。
「か・・・・・・和樹先輩!」
「いた〜〜〜」
火原の言葉に香穂子は目を丸くした。
そっか連絡してないから探してくれたんだ。
いつもわかってくれるっていう安心感から連絡することすら怠っていたことに気づいて香穂子は泣きたくなった。
ごめんなさい、和樹先輩。
大事な日なのに。ごめんなさい。
「ごめんなさい、和樹先輩。連絡してなくてごめんなさい」
「いいよ。だって困ってる天羽ちゃんの頼みだったんでしょ?」
「何で」
「土浦が言ってた」
そういえば掻っ攫われた時にその場に土浦君がいたような気がすると香穂子の記憶が映像を映し出す。
確かにいたかも。
「そんなわけで、金やん。香穂ちゃん連れて帰るよ」
「おー、お熱いのはさっさと帰れ」
金澤はめんどくさそうに手をしっしっと言う仕草で言って。
天羽はほけっとその様子を見ていた。
「じゃね、天羽ちゃん」
「あ、はい・・・・・・」
「じゃあ、帰ろ」
「んじゃ、カバン・・・・・・」
香穂子が手にカバンを持ったまさにそんな時。
火原の中で何かがぴかっとひらめいて、一人笑みを浮かべる。
一度はやってみたかったんだよなぁと心の中で呟き、火原は一人ごちるとすっと膝を折った。
火原が少し屈んだと思ったら香穂子の身体をひょいと抱える。
一瞬何が起きたのかわからなくて、香穂子は目をぱちくりと瞬きを繰り返した。
「では、姫様。行きましょうか」
「え?あ?か、和樹先輩っ!?」
「じゃね!金やん、天羽ちゃん」
そう言って火原と抱えられた香穂子はドアの向こうへと消えていった。
残された天羽と金澤はその台風の前の静けさのように暫く無言となり、
ようやく口を開いたのはそれから数分後のこと。
「ね、金やん。あれは何だったわけ?」
「さぁな? 火原らしいといえば火原らしいが・・・」
くっくっと苦笑いをこぼす金澤に天羽は眉間に皺を寄せる。
そうして残された楽譜を見てため息をつくのだった。
「これ、あたしがやるんだよねぇ・・・」
一言呟いた言葉は金澤の耳にも届かなかった。
勢いよく駆け抜けて。香穂子は火原に抱えられたまま階段を下りる。
その間に自分たちの姿を見かけた生徒は皆笑っていた。
恥ずかしいのに、と香穂子は思うもどこかで楽しんでいる自分に気づく。
ぎゅっと火原の首に回す腕を少しだけ強めて香穂子は火原を抱きしめていた。
「さ、到着〜」
普通科の玄関、靴箱の前に到着してやっとのことで香穂子は火原から解放された。
「もー、和樹先輩ってば、すごく恥ずかしかったんだから」
「ごめんごめん。でもこれ一度はやってみたかったんだよねー」
くすくすと笑って火原は悪びれもなく言う。
わからないでもないがと思いながらも香穂子は苦笑いでしか返せない。
「さぁ、お姫様。靴を履いたらいつものところでお待ちくださいな」
いたずらそうな笑みで火原が言うと香穂子もつられて笑って、
「はい」と頷いて火原に笑顔を向ける。
「じゃ、ちょっとだけ待っててね」
火原は踵を返すと音楽科の玄関へと駆けて行く。
香穂子はそんな火原の後姿を見つめて、心の奥に灯す喜びを噛みしめていた。
「大好きよ、和樹先輩」
香穂子の小さな声は火原の耳には届かない。
離さないでいてね、と呟いて香穂子は靴を履いた。
抱えられていた時に感じる鼓動が香穂子の鼓動を揺らす。
まだドキドキしてる。
止まらないその高揚感に何とも言えない想いが香穂子を包見込んで離さなかった。
姫は王子を待つ。
笑顔で抱きしめて、抱きしめ返して幸せを届けたいと願って止まなかった。
終