そう、ここ『Hapiness』には面白い常連の客達がいる。
その中でも割と日常茶飯事に見られる光景として、いつもカウンター席を利用する金澤紘人と王崎信武の妹菜美とのやりとりが面白い。
香穂子はいつも苦笑いしながらその常連と親友のやりとりを楽しむ。
そんなことを言ってしまえば、きっと親友が口を尖らせるのは目に見えているのだが、そう思うのだから仕方ないのだ。
今日もまた元気の良い声が店内に響く。
「アンタにだけは言われたくないわ!」
啖呵をきって、菜美は大声で金澤に食って掛かった。
そう、日常茶飯事のこと。また始まったと他の常連客は苦笑いを浮かべる。
それはほんの少し前、香穂子に泣きついてきた菜美に対して言った金澤の言葉が発端だった。
そもそも、菜美はわりと言葉では負けない。
ただ、唯一この金澤にだけは言葉を上手く切り返すことができず、いつも負けることが多かった。
今日もまたなのだ。
いい加減慣れてしまったと他の客達はそれぞれ思い思いに紅茶を楽しむ。
「また始まったの?」
この喫茶店で働き始めてから既に一ヶ月が経とうとしているウェイターの火原和樹は、こっそりと香穂子へと耳打ちしてきた。
ちょっと近すぎる距離に香穂子は少し照れながら頷いて火原の言葉に耳を傾ける。
「ええ。またです」
苦笑いを浮かべてせっせと注文されたサンドイッチを作る香穂子は手を動かしながら言葉を返した。
だいたい金澤と菜美がばったりと会う日は口げんかになる。
今日の余計な一言は『そんなんだから彼氏ができないんだよ』だった。
「アンタに私の何がわかるって言うのよ!」
「・・・・・・さぁ?」
「・・・さぁって、適当に言ってるわけ?」
「別に」
「ムカつく! アンタだってその言葉そっくり返してやるわよ」
「俺は別に構わないし」
売り言葉に買い言葉だなと火原は思う。
だがこの二人の間にこのケンカが始まってしまうと止まらない。
火原はちら、と香穂子へ視線を送り、香穂子もまた火原へと視線を送る。
火原がこの店で働き始めてからと言うもの、この二人のケンカが始まると決まってすることがあった。
二人とも思ったことは一緒のようで、火原はそっと二人の背中を向けた方へと歩を進めると、ケースを取り出す。
香穂子もまたカウンター席からゆっくりと外れてケースを取り出した。
火原はケースの中にあるトランペットを、香穂子もまた自分のケースの中にあるヴァイオリンを持つ。
そっと二人見合わせてカウンター傍の小さな舞台で二人は一つの曲を弾き始めた。
金澤と菜美の話に重なる音色に二人の言葉が途切れ、視線は火原と香穂子へと向けられた。
「香穂・・・・・・」
「・・・・・・『Over the rainbow』、―――虹の彼方に、か」
金澤はぽつりと呟く。菜美はきゅっと唇を噛んで火原と香穂子の演奏に耳を傾けた。
いつだってそうだった。
金澤と話をするとどうしても衝突してしまう。
どうしてなのか、自分でもわからなくて、苛々して、構ってくるもんだからつい言い返す。
兄の信武は「もしかすろと友達になりたいと言う気持ちの表れなのかもしれないよ」と言っていたが。
「・・・・・・違うもん」
菜美は一人口を尖らせて呟いた。
多分いつも金澤は正論を言う。それに敵わないから、だから苛々して文句を言ってしまうのだと思っていた。
トランペットとヴァイオリンの二重奏は静かに幕を閉じ、周りのお客からは拍手が沸いた。
金澤も菜美も拍手を二人へと贈る。
菜美は拍手をしながら小さな声で呟いた。
「・・・・・・悪かったわね」
金澤にしか聴こえない小さな言葉。
「いや」
それが二人の仲直りの合図。
バツが悪くなって菜美は少し冷えてしまったオレンジペコーに口をつけた。
金澤もまた冷え切ったドアーズに口をつける。
「どうやら仲直りしたみたいだね」
火原は嬉しそうに弾んだ声でこっそり香穂子の耳に言葉を綴る。
「みたいですね」
香穂子もまたくすっと笑って火原の言葉に頷いた。
「日野ちゃんの演奏が良かったんだよ」
「ううん、そんなことないですよ」
首を横に振って香穂子は答える。
「二人の演奏、だから良かったんです」
香穂子の言葉に火原はそうだね、と頷いていた。
ふしぎなふしぎな二人の関係。
仲が悪いのか、そうではないのか、それは当人達しか知らない。
『Hapiness』の名物の二人のケンカは音楽とあたたかな紅茶で収束するのだ。
二人がいつも頼むものは決まっている。
ドアーズとオレンジペコーの相性は良いのか悪いのか。
一度このドアを開けてみて確認してみてはいかがですか?
あたたかい紅茶と優しい演奏が待っています。
さぁ、扉を開けて『Hapiness』へどうぞ。
2.ドアーズとオレンジペコーの相性は?(終)