10. あなたに
幸せを

今日があなたの生まれた大切な日ならば―――。



「あ、じゃあ悪い。俺これから用事あるんで」

「え?何、土浦もう帰っちゃうの?」

「ちょっと約束があるんですよ」

暑い夏を迎えようとしていた和名で言えば文月の下旬。
土浦は軽く自分の誕生日を祝ってくれた火原や日野らに用事があると告げた。

「そっかー。残念」

「仕方ないですよ。彼女の方が大事ですから」

「日野!」

日野香穂子、土浦の親友と呼べる間柄であり火原の彼女であるこの少女は同じ音楽学科の人間だった。
その日野は土浦の約束の理由を知っているのだろう、くすくすと笑いながら火原を宥める。

「何よー。本当のことを言っただけでしょ?ほら、冬海ちゃんが待ってるんだから早く帰らないと」

ぽん、と軽く肩を叩いて土浦に席を外すよう促す。
土浦は「悪い」と言いながら素直に席を立った。
約束の時間まで歩けばぎりぎりだし、走れば少し余裕がある、そんな時間。

「冬海ちゃんによろしく言っておいて」

「ああ、じゃあ明日テスト後にな」

「うん」

軽く会釈をすると土浦は学校の正門へと踵を返した。
その背中を見つめながら火原は呟く。

「まぁ、確かに彼女との時間大切だもんね」

「はい、もちろんです」

にっこりと笑って日野は火原を見つめると、火原もまた柔らかに微笑んで返した。



          ◇  ◇



『7月25日の17時からお時間を頂けますか?』

それは一週間前、電話で話をしていた時のこと。土浦は大学に進学し、冬海は一学年上へと上がったこともあり、ろくに会う時間はとれなかった。
昼休みや放課後、普通に会えていた高校時代がひどく懐かしくも感じる。
だが、仕方のないことだと割り切るしかない。
幸いにも冬海にはある意味お手本がいたため、色々とアドバイスを受けていたようだが。
約束には二つ返事で返した。
しかもその日が自分の誕生日だということをすっかり忘れたままで。

『高校に着いたら連絡頂けないでしょうか』

今日、冬海がオケ部の練習日だと言うことは土浦も知っていた。
でもなぜ学校で待ち合わせなのか。
卒業してからまだ立ち寄ったことのない高校での待ち合わせはどこか緊張を覚えるな、と思いながら土浦は苦笑いを浮かべた。

「少し走るか」

気だるい暑さの中、汗が滲むTシャツの襟を軽く掴んで呟く。
まだ日が傾く気配は見られない。当然のことだとはわかっていても、少しばかり秋が恋しくなるのはこう言う時だ。
土浦は黙って大地を蹴って駆け出した。



一方、冬海の方はと言うと学校の調理室を借りてあることを試みていた。

「お〜冬海ちゃん。いい感じにできたんじゃない?」

ほくほくと湯気の上がるそれを見て天羽は笑う。

「こう言う気遣いは誰かさんも見習ったらどうだ?」

その隣でくっくっと笑うのはこの学校の音楽教師である金澤だった。

「それってどういう意味よ」

「さあな?」

不満そうに唇を尖らせる天羽に金澤は苦笑いを浮かべる。不服そうに見上げながらも天羽は冬海へと視線を移した。

「そろそろ待ち合わせ時間だよ。ここは私がやっておいてあげるから、行った行った」

「あ・・・・・・すみません。あの、ありがとうございます!」

冬海は自分のエプロンを外して支度を始め、ケータイを手に持つと部屋を出た。
調理室を後にした冬海の背に小さなため息を吐きながら天羽は机の上に載っている調理器具等を片付け始める。
ある程度オーブンを見ながら片付けていたため、さほど残っているものはない。
ラッピングも一人頑張って冬海がせっせとやってのもあって、片付けもそう多くはなかった。
金澤もまた水気を切るためにおいておいた調理器具を拭き始める。

「ありがと」

「まぁ、かわいい生徒のためだもんなぁ」

「あら、私はかわいくないんですか」

「そうは言ってないだろ。お前さんの場合は生徒じゃないだろうが」

「・・・確かに言えてる」

「なんか、こうやって見てると甘いものが無性に食べたくなるな」

「じゃあ、久しぶりに甘いもの作ろうか? どうせ今日もいつもどおりなんでしょ」

「ああ、そうだな。それも悪くない」

小さく笑う金澤を横目に、天羽は頭の中にあるレシピで一番簡単で金澤の好みのお菓子はないだろうかと思案していた。



ケータイの着信に気づくと冬海は「はい」と言葉を口にする。土浦は着いたことを知らせると特別教室棟へと来て欲しいことを告げた。
調理室のある階を知らせ、その廊下で待つ。
少し汗を滲ませたTシャツを着る土浦の姿を見つけて思わず顔を綻ばせた。
土浦もまた同じだったのか、ほっと息を吐く姿を冬海は見つける。

「土浦先輩」

「冬海」

「あの、すいません。学校まで来て頂いて」

「いや、構わないさ。俺もテスト期間中だしな。ところで、どうして学校で待ち合わせだなんて・・・・・・」

「土浦先輩に、プレゼントしたいものがあって」

恥ずかしそうに顔を赤らめながら冬海は少し俯いた。何を、なのかはわからないが、土浦はとりあえずぽん、と軽く頭を撫でる。

「で、どうするんだ?」

「あ、こちらです」

冬海は調理室のドアを開けると片付け終えた天羽と金澤が二人を迎えた。

「天羽、金やんまで・・・!」

「じゃあ、そろそろ私達はおいとまするよ。じゃね、冬海ちゃん、土浦くん。二人の時間をごゆるりと〜」

軽く手を振って冬海へ微笑むと天羽は金澤の背中を押しながら調理室を跡にした。ぽかん、と土浦はその背中を見つめる。
冬海は土浦に座るよう、促した。

「あの、こちらに座って下さい」

「冬海?」

そう言いながら冬海は戸棚に仕舞われていた箱を取り出して土浦の前に差し出す。土浦はきょとん、と小首を傾げた。

「これ・・・・・・」

「あの、た、誕生日おめでとう、ございます!」

プレゼントです、と小さく消え入るような声で冬海が言うのを土浦が聞き逃すはずはなく。
土浦はそっとその箱を開ける。見た目からもすでにわかるのはケーキ用の箱と言うことだけ。
そういえばこの調理室はさっきから甘い香りがするなと思っていた。
そしてその箱の中から顔を出したのはこげ茶色のまだあたたかな香りの残るガトーショコラだった。

「冬海、これ・・・・・・」

「以前、このガトーショコラの苦さなら好きだと仰っていたので・・・ガトーショコラは熱いうちに食べるのが良いと書いてましたし、天羽先輩や金澤先生の助力もあって、学校でやってみたんです」

できたてを、好きな人に食べてもらいたい一心で冬海は調理室を借りれるよう懇願した。
その願いが通じたのもあったのだが。

「誕生日、何をあげようってずっと考えていました。思いついたけれど、今度場所が問題で、あたたかいうちに食べてもらいたくて」

そこまで言えば土浦とてわかる。
好きな人のためにと思った気持ちがこうして形に現れたのだろう。
じん、と土浦の胸の奥にあたたかなものが広がった。
思わず一緒に差し出されたフォークで切り口を作ると、中から熱いチョコレートの香りが流れ込む。
土浦はその一切れを口に入れて味と香りを楽しんだ。

「うん、美味いな、これ」

「本当・・・ですか?」

「ああ、美味い。熱々のガトーショコラ、美味いぜ」

もう一切れ自分の口に運んだ土浦は笑みを浮かべて冬海を見つめると、少し泣きそうに笑う冬海の姿を見つけた。

「何、泣いてるんだよ」

「え・・・・・・あの、うれしくて・・・・・・」

「バカだな」

泣くことないだろ、そう言いながら土浦は冬海の頭を軽く叩いた。
冬海は小さく笑う。

「でも、嬉しいんです」

喜んでもらえたことが。
笑ってくれたことが。
やさしい笑みにいつも冬海は救われてきたから。

「お誕生日、おめでとうございます、土浦先輩」

「サンキュ、冬海」

Happy Birthday!
あなたがここに生まれてきてくれたことを。
こうしてあなたと巡り会えたことを。
心から感謝したい、そんな気持ちで冬海は微笑んだ。

予想しなかったプレゼントに舌鼓をする土浦もまた冬海の頭を撫でながら思う。
自分が生まれてきたことをこうやって祝ってくれる人がいること。
そしてこの少女と巡り会えたこと、それに感謝したい気持ちでいっぱいだった。
それにしても、と土浦は思う。
あの笑顔は反則だろ、と。
絶対に誰にも見せないと誓いながら土浦はもう一口甘く苦いガトーショコラを口に運びながら思っていた。


真夏へと向かう太陽が陰る。
もうすぐで夜が再び訪れる学校でのこと。
特別な想いは幸せの味を運んでくれる。





*あとがき*
ハッピーバースデー、土浦くん。
そんなわけで久しぶりの土冬です。そしてすいません、火日と金天入れちゃって(てへ)。
でもすごく楽しかったです。
もう少しラブラブにしようかと思ったんですが、やっぱり土冬はこれくらいで(そうなのか)。
まだ付き合い始めて4ヶ月くらいでしょうか。設定的に土浦は卒業後です。多分この二人が付き合い始めるのは遅そうだなぁって思って。
何はともあれ、苦労人の土浦ですが大好きですよ、土浦。お誕生日おめでとう。