外がやけに騒がしいなぁと思いながら小日向かなでは練習室の窓を開けると、そこにいたのは意外な人だった。
「火積くん?」
きょとん、と大きな瞳を火積へ向けながら小首を傾げるかなでに火積は「小日向」と名前を口にした。
かなでは驚きながら何をしているのかじっと見つめる。
「子猫?」
「あ、ああ・・・・・・どうやら腹減ってるみてぇだからよ」
「そうなんだぁ。それで猫缶持ってきたんだね」
火積の手にある猫缶を見てかなではのんびりした口調で言うと、少しばかり恥ずかしいのか「ああ」とそっけなく火積は答えた。
ぱか、と缶を開けて子猫の目の前に置くと、勢いよく食べ始めた。よほどお腹が空いていたらしい。
かなではそんな子猫と子猫を見つめる火積を交互に見遣る。すると火積がかなでの視線に気づき、「どうした」と尋ねた。
「んー。なんか子猫が羨ましいなぁって」
「・・・羨ましい?」
「うん。だって火積くんの優しさを独り占めしてるんだもん。いいなぁって」
「・・・・・・は?」
何言い出すんだ、と言わんばかりにぽかん、と火積を口を開くとかなでは気にすることなく続けた。
「いいなぁ、ずるいなぁ。火積くんが優しいのこの子猫もよくわかってるんだなぁって思ったら余計にずるいなぁって」
「・・・・・・あんたは、時々よくわからないことを言うな」
「え?それって呆れてる?」
「いや、そういう訳じゃねぇが・・・・・・」
言いよどむ火積にかなでは首を傾げた。別に可笑しいこと言ったわけじゃないはずなんだけど、と考えるも火積は視線を横へ逸らしたままかなでの方を向こうとはしない。
やはり少しだけ子猫が羨ましいと思う。
「ね、火積くん。そっちに行ってもいい?」
「は?」
「そっちに行って、猫見てもいい?」
「あ、ああ・・・・・・俺に聞かなくてもいいだろ」
「火積くんに聞きたいの。ちょっと待ってね・・・・・・よっと」
かなではヴァイオリンを慌ててヴァイオリンケースへ仕舞うと、窓の枠に手を掛け、足を上げて引っ掛ける。
驚いたのは火積の方。
「な・・・何やってんだ」
「何って、そっちに行こうと思って」
「いや、そこからじゃなくてちゃんと回って来い」
「こっちの方が近道だよ?」
「そうかもしれねぇけど・・・怪我したらまずいだろうが」
「大丈夫だよー」
けらけらと笑いながらかなでは火積に言うと火積は小さなため息を吐いた。今どういう時期で、どうして心配しているのかわかっていないらしい。
確かにここは1階で、距離はそれほどないが、高さは少しばかりあるだろう。少なくても自分よりも身長の低い小日向にとっては高めだと火積は認識する。
笑いながら答えたかなでは窓の桟に手と足をかけて掴むと降りる体勢を整える。
その時だった。軽く強い風が二人の間を突き抜けてゆく。
風の威力に当てられたかなでのバランスは崩れ、ずる、と手が滑った。それと同時に「あっ・・・!」と声がこぼれ落ち、かなでの体勢が崩れたことに気づいた火積はぎょっと目を開いて気づけば腕を伸ばしていた。
それは一瞬の出来事。
どさり、と鈍い音と共にかなでの視界が変わる。落ちた先にいたのは火積で、火積の腕がかなでを抱きとめる。
「・・・・・・ったぁ」
「・・・・・・おい、大丈夫か?」
「う、うん・・・・・・って、ご、ごめんね、火積くん」
かなでは慌てて顔を上げて火積に謝る。大丈夫と言った手前、バランスを崩して火積に助けられるなんてまぬけにもほどがあると、穴があったらその穴に入りたい気分でいっぱいで。
しゅん、と項垂れるかなでを抱きとめたまま火積はほっと息を吐くとその腕でかなでを引き寄せる。抱きしめられたかなではというと驚いたまま目を大きく開いた。
きっとすごい怒られる、そう思ってぎゅっと目をつぶったのに、その声は一向に聞こえてこない。思わずかなでは「ほ、火積くん?」と尋ねてしまう。
火積はかなでの耳元でゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
「・・・・・・心臓止まるかと思った」
「・・・うん、ごめんね・・・」
「あんたはまだやることがあるんだ」
「・・・・・・うん」
「あんたが怪我をしたら困るのはあんただけじゃねぇ。あんたの仲間も、俺も困る」
「・・・・・・火積、くん?」
火積は華奢な身体を抱きしめる腕を少しばかり強くした。かなでが怪我をしなかった、それだけでも良かったと思う。
どんなことであれ、自分が傍にいながら守れないと言う最悪の事態は免れたのだ。
「・・・・・・これ以上、心臓に悪いことは勘弁してくれ」
「ごめん、なさい・・・・・・」
かなでは火積の背中に腕を回してぎゅっと抱きしめ返す。ごめんと謝るかなでの頭を片方の手が撫でた。
「・・・痛いところはあるか?」
「火積くんが守ってくれたから、大丈夫」
「・・・・・・そうか」
かなではぐす、と鼻を鳴らしながらごめんね、と謝罪の言葉を口にした。ほっとしたのだろう、少し鼻声なのは恐らくほっとしたせいで涙が出たのだろうと火積は思う。
そのとおりだったようで、かなではぎゅーっと火積を抱きしめる腕を強くした。
「良かった・・・火積くんが守ってくれて」
「・・・・・・俺は、当然のことをしただけだ」
「でもすごいことだよ?火積くんだからできたことだって思う」
「そんなことねぇだろ」
「ううん。絶対にそう」
首を横に振ってかなでは言うとぽつり、と言葉を呟いた。
「火積くんって、私のヒーローだよ」
「・・・・・・は?」
何を、急にと思うもののかなでは顔を上げて火積を見上げながら笑う。
「ありがとう、火積くん」
「・・・・・・いや、俺は・・・あんただからなのかもしれない」
「え?」
「い、いや。何でもない。気にしないでくれ」
口早に言葉を閉じると火積はそっぽを向き、その視線の先に子猫がじっとこちらを向いていることに気づく。
子猫は暫く自分達を見た後、くるりと踵を返して駆けて行った。その背中を見送ると火積は自分の置かれている立場に漸く気づく。
ある意味、この体勢はやばいんじゃないか、ということを自覚するとかなでを抱きしめていた腕を緩めてかなでと少し距離を置いた。
「す、すまねぇ!」
「え?あ、わ、私の方こそごめんね!」
かなでもようやく自分達がしていたことを自覚して火積と距離を置く。
お互い顔を紅く染めながらゆっくりと視線を戻し、絡んだ視線にもう一度恥ずかしさを覚えながら苦笑いを浮かべた。
でも抱きしめたことを火積は後悔していなかったし、何よりもかなでも抱きしめられていたことが嫌ではなくて。
「・・・火積くん」
「・・・何だ?」
「ありがとう」
花のような笑みを浮かべてかなでが言うと、火積は「いや」と言葉を口にする。火積が照れていることはかなでもわかったため、それ以上言葉を口にすることは無かった。
強く抱きしめた腕が頼もしくて、かっこいいなんて言ったら火積はどんな顔をするだろうか、かなでは考えるも何となく答えはわかっていた。
照れながらもその言葉を否定することなく受け止めてくれるだろう、それは火積という人の優しさ。
そんな火積だからかなでは傍にいたいと思う。
困った時にかけつけてくれるヒーローのようだ、そう思いながらかなでは小さく笑うと火積を見つめた。
「火積先輩って何気においしいですよね」
菩提樹寮に戻り、一人麦茶を飲む火積に急に話かけてきたのは新だった。
「何言っていやがる」
「だってー、かなでちゃんの王子様って感じがしましたもん」
「は?」
本当に何を言ってるんだと思いながら火積は眉間に皺を寄せると、新は楽しそうな笑みを浮かべて「今日の昼ですよ」と言葉を付け加えた。
今日の昼と言えば、かなでが窓の桟からバランスを崩した、あのことを指すのか?と訝しげな表情を浮かべて火積は新を見遣る。
新はにこにこと笑いながら言葉を続けた。
「かなでちゃん、華奢だから火積先輩が抱きしめると壊れちゃうんじゃないかって、冷や冷やしちゃいましたよ〜」
「おま・・・・・・!あれ、見て・・・・・・っ」
「ちょうど見かけたんですー。あ、オレは不可抗力ですからね。たまたま通りかかったところで声がしたから何かなーって思ったら火積先輩とかなでちゃんが抱きしめ合ってるんだもん」
「いや、あれは、事故で・・・・・・」
「でも、役得じゃないですか。いいなぁ、火積先輩。ラブラブで」
「ラ・・・・・・っ!」
「だって本当のことでしょー。オレ、あのままキスでもするんじゃないかって本気で思ったし」
「キ・・・・・・っ?」
次々と飛び出す言葉に火積のほうが焦り始めた。よりによってなんでこいつが見てるんだ。
新は楽しそうに言葉を弾ませる。
「まぁ、オレ誰にも言いませんから。安心してくださいよ〜。それにこんなネタ大事にあたためたほうがいいに決まってるでしょ」
「・・・・・・てめぇ」
「オレは協力しますから♪ だから安心してくださいって」
色々と頭が痛いと思いながら火積は軽く頭を抱えていた。
面倒な奴に見られた、そう思いながらもこれ以上突っ込むのは疲れたと思って火積はため息を吐く。
次かなでに会った時はどんな顔をすればいいのか、と思う気持ちと新がまた変なことをやらかすんじゃないか、火積の脳裏には不安の二文字が残っていた。
かなでにとってのヒーローは今日も色々と大変らしい。
終