好きだと思うことに理由なんていらないでしょう?
そう笑ったのは小日向かなでだった。
夏休みの校舎にかなでと火積は立ち入るとてくてくとかなでの教室を目指して歩く。何でも教室に忘れたものがあるとかなでは言い、それに付き合う形で火積はかなでの隣を歩いていた。校舎に人はほとんどいない。いても部活動をやっている生徒ぐらいで、特に部活動やっている生徒は火積の存在に慣れたのか驚かれることもなくなった。
変なもんだな、と火積は思う。自分の学校でならばわかるが、他人の学校でこうなるとは考えてもいなかったため少し驚いていた。
「あ、ここだよ、火積くん」
「・・・・・・そうか」
「私の席、ここなんだ」
指先はかなでの机を指し、火積はゆっくりとかなでの教室を見渡した。自分の学校とは全然違う雰囲気がある。さすが音楽科というだけあって、本棚にあるものは音楽の専門書が多かった。県立である自分の高校と違って私立であるために、備品の数も全然違う。
「・・・・・・あんたは、ここでいつも勉強してるんだな」
「あ、うん。とは言っても転校してきたばかりだけどね」
苦笑いを浮かべるかなでに火積は「そうかもしれねぇけど」と頷いた。
かなでは自分の机の中に入れたままの譜面を取り出した。
「良かったー。残ってて」
「・・・・・・そうだな」
ほっと肩を撫で下ろすかなでに火積は苦笑いを浮かべた。かなでは少しおっちょこちょいなところがある。抜けているというか、どうしてこんなところでこけるんだと思うこともあるのだ。
「あ、ちなみにこの隣は響也の席なの」
よっとと声を漏らしてかなでは響也がいつも座っている席の机の上に腰を下ろした。行儀が悪いとわかってはいるもの、何となく机の上に座りたいと思ってしまったのだから仕方がない。火積はそれを気にするわけでもなく、ただかなでを見つめていた。
「如月のことだ。寝てるんじゃねぇか?」
「ピンポーン。そのとおり」
よくわかったねーと笑うかなでに「何となくだ」と火積は返す。何となく何週間も一緒に生活をしていれば、何となく生活パターンも読めてくるものだ。かなではくすくすと笑いながら響也の机を撫でた。何となくその仕草に火積は見惚れる、それと同時に羨ましさがこみ上げてきた。言葉が上手く口にできない火積は自分の気持ちを持て余すように椅子の背に手を載せて握る。そんなことを言ってもきりがないことは火積もわかっていた。だが、好きだと自覚している以上羨ましいと思うのは当然で。
「何、考えてるんだ、俺は」
「ん?どうかしたの?」
顔を覗きこむようにかなでは火積を見つめると、「いや、何でもない」と火積は視線を逸らす。何となく今自分が思っていることをかなでに知られたくない、そう思っての行動だった。だが、かなではそれを見てなぜ火積が視線を逸らしたのかわからず口をへの字に曲げた。何かしたかなぁと思いながらも答えは見つからない。
「ねぇ、火積くん」
「あ・・・ああ?」
「私、何かした?」
「は?」
そこで漸く逸らしていたはずの火積の視線がかなでへと向けられる。かなでは「だって」と言葉を続ける。
「目、逸らすし、何かやったかなぁって思って」
「いや、そうことじゃ・・・・・・」
「本当?私、火積くんが困るようなことしてない?」
そう尋ねられると素直にはいそうです、とも言えない自分がいる。困るといえば別の意味で困っている。かなでのことが好きだと自覚すれば自覚するほど傍にいたいと思ってしまうのだから。
「い、いや・・・してねぇ」
「今、口ごもった。何かやってるの、私。それって火積くんにとってすごく迷惑なことだった?」
何を勘違いしているのか、かなでの瞳が不安な色で濃くなってゆく。そうじゃないんだ、と火積は小さな声で呟く。情けないな、そう自分自身を思う。なのに、いつもの自分とは違うような、どうしていいのかわからない感情が火積の胸の内に疼いていた。
あたたかくて、少しこそばゆくて、それでいて優しいもの。
「だから、あんたのせいじゃねぇ」
「でも困ってる顔してるよ、火積くん」
引き下がらないかなでに火積は小さくため息を吐く。どうしたらわかってもらえるのかと考えながら火積はかなでの目の前に立つと、少し距離を縮めた。そっとかなでの手の上に自分の手を重ねる。かなでの動きは封じ込められた。動こうにも両の手の上に火積の手が重なっていた。
「火積、くん?」
近くなった距離にかなでの不安そうな瞳が少しずつ色が変化し始めていた。戸惑いと、不安と、恥ずかしさと、色んな感情がごちゃごちゃになっている、そんな色。
「あんたは悪くない・・・・・・むしろ、俺が悪いんだ」
「え?」
「・・・・・・あんたに触れたい、そう思ってる自分がいる」
「火積くん・・・・・・」
急に恥ずかしさが心の中を占め始める。自分の頬が紅くなり始めている自覚はあったが、それを治す術など持ち合わせてなどいないのだ。ここでかなでが距離を取ってくれたなら、少しだけでも今の自分の胸の高鳴りが収まるんじゃないか、淡い期待を持ちながら火積はかなでを見下ろす。
だが、かなでが取った行動は火積の考えていたものは違っていた。
「ねぇ、火積くん。私、火積くんが好きだよ。大好き」
「小日向・・・・・・」
「だから触れられるの嫌じゃないよ。むしろ触れて欲しいって思う」
素直な言葉に火積の心臓がとくん、と震えた。何を言うんだ、と思わず言い返したくなる。だが、お互いそれぞれの気持ちを伝え合っていたため、その言葉は喉の奥へと押し込まれた。同じ気持ちでかなでがいてくれること、それがこんなにも幸せな気持ちで満たしてくれる。今までになかった深い感情が火積の心を突き動かした。重ねる手に少しだけ力が入る。
「小日向・・・・・・」
「火積、くん・・・・・・」
自然と糸が手繰り寄せられるように、かなでと火積の距離が近づいた。かなではそっと瞳を閉じ、火積は形良いかなでの唇に自分のそれを重ねる。時間で換算すると短いものの、それがすごく長い時間のように思えてならない。
触れた唇はやがてゆっくりと離れる。離れるのと同じように二人の瞳がゆっくりと開いて互いの瞳を見つめる。
くすぐったいような、はずかしいような、それでいて満たされる想いがあった。
「・・・・・・俺は、小日向が好きだ」
「火積くん・・・・・・」
「あんたのこと、大事にしたい」
火積の真っ直ぐな瞳がかなでを捕らえて離さない。この真っ直ぐな瞳に惹かれたのはいつからだったんだろ、かなではぼんやりとそんなことを考える。不器用だけど、優しくて、文句を言いながらも面倒は最後まで見てくれる、そんな人、それが火積司郎という男の人。かなでは気づけば火積のことが気になっていた。いつから好きだったのかはわからないけれど、結構早いうちからだったんだと今になって思う。
「私も、火積くんのこと大事だよ。大切な人なんだから」
だから遠慮なんてしないで、かなでは微笑みながら言葉を紡いだ。
たとえ離れていてもこの想いが変わらないという自信は持っている。この人を好きだと思った時からずっと考えていたこと。
重ねた手が俄かに熱が上がっていることを伝える。
この熱に惹かれるように、もう一度火積はかなでにキスをするとくすぐったそうにかなでは笑った。愛しい、そんな言葉が自分の中に生まれるなんて思いもしなかったのに、かなでと時間を重ねれば重ねる度にその想いは増す。どうしようもないくらい惹かれている自分がいて、それを受け止めてくれる人がいるということが嬉しかった。
愛など恋など自分には関係ないと思っていた。
お世辞にも自分の顔が怖くないとは言えなかったし、誤解されることも多い。だから恋なんてとどこかで思っていたのに。
それでも愛してしまった人がいた。
それが小日向かなでと言う名前の恋人の存在。
火積にとっての守るべき、大切な人。
終