『ひなちゃん』と言うその声がいつもドキドキさせられる。
でもそのドキドキが嫌じゃないのは何でだろう、そう小日向かなでは思っていた。
「ひなちゃん。やっぱりここにいた」
「大地先輩」
自分の名前を呼ばれたかなでは目を輝かせながら振り向くと、そこに立っていたのは普通科三年でこのオーケストラ部ヴィオラ担当の榊大地だった。
榊はかなでに近づくと、ぽん、と頭を撫でる。かなではじっと榊を見上げていた。
「なんだかここから見たかったんです。この空を」
かなでが足を踏み入れたのは星奏学院高校の屋上。今の季節は夏であるため日差しが強いものの、夕方になれば日差しは和らぐ。
ヴァイオリンの練習を終えたかなでは屋上からの眺めを楽しんでいた。
「ここからの景色はいいからね。ひなちゃんはお目が高い」
「からかってません? 大地先輩」
「そんなことないよ。ひなちゃんはいいところに目をつけるなぁって感心してただけかな」
くすくすと笑いながら榊はかなでを見つめると、かなでは少しばかり不満そうな眼差しを向けつつ、でもまぁいいやと呟くと再び茜色の空を仰いだ。
どこまでも果てしなく続く茜色の空。その空の下から徐々に染まりつつある闇の色が顔を出す。
「俺が初めてここからの景色を見た時、こんなに夕焼けって綺麗だったんだってことを知ったんだ。時々ここから見ているけれどやっぱり綺麗だなって思う」
「そうですね。きれいだなぁって思います」
「でもね、ひなちゃん。今日はまた一段と綺麗なような気がするよ」
「?」
「君が隣にいるからね。余計に綺麗に見えるみたいだ」
かなでは思わず頬を赤く染めて「な、何を言ってるんですか」と慌てるも、声が上擦って上手く言葉にならない。
榊の言葉はかなでにとって何よりも一番ドキドキしてしまう。
それはいつも自分の名前を呼ぶ時と同じ。いつだって心臓が簡単に跳ね上がってしまう。
「からかわないで・・・・・・」
「おや。からかってると思ったのかい?俺は真面目に言ったんだけどな」
「えっと、でも・・・・・・」
「どうしたら信じてもらえるんだろうね。本当のことを言っているのに」
だから、それが心臓に悪いんですーと心の中で叫びながらかなでは困ったように笑う。
でも、榊の言葉が本当ならば嬉しいと素直に思う自分もいて、思わず苦笑した。
榊はそんなかなでの表情を見つめていた。
かわいい少女のころころと変わる顔を。このかわいらしい少女を守りたいと切に願う。
どうか曇らないように。
いつだって笑っていられるように。
「ひなちゃん、そろそろ下校時間だ。遅いから俺が送るよ」
「あ、はい。そっか、もうこんな時間」
「うん。いつの間にか時間は過ぎてしまったみたいだ」
「そうみたいですね。ちょっと淋しいけれど」
名残惜しそうに茜色の空を見上げながらかなでは鞄とヴァイオリンのケースを持つ。
榊もまた同じように自分の鞄とヴィオラのケースを手に取った。
もう一度空を仰ぐとかなでも榊も誰に何を言われるわけでもなく、自然と視線がお互いの表情へと移される。
絡んだ視線はただただその瞳の奥を見つめていた。
「ひなちゃん」
「はい、大地先輩」
微笑んだままのかなでを大地は柔らかな眼差しで見つめ、言葉を紡いだ。
「・・・・・・一緒に帰ろう」
とくん、と鼓動が揺れる。心臓が弾み、かなでの心にあたたかな日差しが差し込む。
榊の言葉はいつだってかなでのこころに響くのだ。
かなでは榊を見上げると満面の笑みで言葉を返した。
「喜んで」
それはかなでの精一杯の心の言葉。
夕暮れに染まりつつある校舎から二人は肩を並べて後にする。
いつになく心が弾むのは隣に好きな人がいるから。
恋心が弾む。
あなたが好きだと伝えるように。
この茜色のように染まった恋を好きな人へと伝わるように―――。
終