単純な言葉で、些細なことがキッカケだったとかなでは記憶する。
響也のバカ、とかなでは言い放ち、それを聞いた響也がお前なんか知るかと言い捨てる。いつもと変わらないケンカだったはずなのに、どうして今日はこんなにも落ち込んでしまうのだろう、かなでは沈んだ心と同じように机に突っ伏して考え込んでいた。
そもそも何が原因だったのかなんてかなでとて覚えていない。弁当のおかずのことだっただろうか、それとも帰りがけに買ったお菓子のことだっただろうか、それとも――?
本当にくだらないことだったような記憶だけはあるのに、肝心の内容は覚えていないのだ。けれど、どうしてこんなにも落ち込む自分がいるんだろう。
「何でかなぁ。いつもと同じはずのケンカなのに」
かなでの呟きに意外にも返したのはかなでの部屋の隣の住人である支倉仁亜だった。
「それは当たり前だろう、小日向」
「へ? に、ニア?」
閉じていたはずのドアがどうして開いていて、しかもニアがそこに立っているのか。
「ああ、誤解しないで貰いたいのだが、私は一応ノックしたぞ。反応がないからいないのかと思ってドアを開けてみた」
全然気づかなかったのか、と呆れ顔でニアが問うとかなではこくりと小さく頷いた。
まぁ、仕方ないかと思ったのかニアは肩を竦めてかなでへと言葉を綴る。
「小日向の悩んでいることは簡単なことだ」
「え? どういう意味? っていうか、ニアは私が悩んでいることわかるの?」
「そんなの簡単な話だ。第三者の方が物事はよく見えるものだぞ」
「でも、」
「どうしていつものケンカなのに落ち込んでいるか、それが小日向の疑問なのだろう?」
「そ、そう!」
目を丸くするかなでにニアはくすくすと笑う。余裕のある笑みは少しだけ面白くないものの、それよりもかなではニアの答えの方が気になって仕方なかった。自分が見つけられなかった答えをニアは知っている。どうしてそうなのか、を問いたいのだ。
「いつもどおりだと思ったら違うものだ。小日向、君たちは前まで幼なじみと言う関係だった。だが、今は違うだろう?」
誰もが知っている恋人と言う間柄だ。響也とかなでの関係は。
それを改めて言われると恥ずかしくなるのか、かなでの頬が俄かに紅く染まり始める。
「まだ慣れないのか? 我が友は」
「な、なななな慣れないよ!」
かなでの顔の赤さとムキになった声がニアの心をくすぐる。一方でかなではニアに言われた言葉を考え始めるとなぜかそれが理由としてしっくりくるのを感じていた。いくら知っている仲とはいえ、ケンカして嫌われたくない。やっぱりかなでにとっての響也の存在は他の人とは違うのだ。
「そっか・・・そうだったんだ」
「ああ、そうだ。だから早くラウンジに行くといい。今なら如月弟だけがいるからな」
くすりと口の端を上げるニアにかなでははっと顔を上げた。そして勢いよく椅子から立ち上がるとニアを置いてかなでは駆け出した。かなでの背中を見つめながらニアはふふ、と微笑む。まぁ、こうでなくちゃ面白くないだろう、ニアの声はかなでには届いていないことを重々承知の上で呟いた。
「我が友の悲しい顔は見たくないのでね」
悲しい顔はあの時だけで十分だろうとニアは踵を返して自室へと戻る。響也とまだかなでが付き合う前の話、酷く落ち込んだかなでの横顔をニアはまだ覚えている。きっと今なら素直に謝れると見込んでのニアの行動だったことは二人は知るはずもなかった。
そのニアの言葉で背中を押されたかなでは短い距離だというのに息を切らしてラウンジへと急いだ。一人ぼんやりとラウンジの窓の外を眺めている響也の背中を見つけて思わずかなでは声を挙げる。
「響也!」
「は? え? かなで?」
かなでが息を切らしながら名前を呼んだことに驚きながら響也は怪訝そうな表情を浮べていた。どうしたんだと言わんばかりの表情にかなでは苦笑しながらも素直な気持ちを口にした。ここで言えなくてはきっとまたケンカしたままで、苦しいままだから。
「ごめんね、響也」
「かなで・・・・・・」
怒ってバカって言ってごめんと謝るかなでに響也は小さなため息を吐いた。それは響也も同じことを考えていたから。ここで折れなければきっと後悔するのは目に見えていた。
「・・・オレの方こそごめんな、かなで」
素直な想いを唇で綴るとやっとホッとしたような笑顔をかなでが見せた。それを見て響也もほっとする。やっぱりかなでには笑っていて欲しいから。怒った表情は何度も見て来たが、笑顔が一番似合うかなでだから笑っていて欲しい。
仲直りをした後の笑顔は一際輝いて見え、響也の頬が自然と綻んだ。かなでもまた響也の表情が柔らかになるのを見て安堵する。
大好きな人だから、ずっと傍にいたいから。
ケンカしてもまたすぐに仲直りができる関係であることができますように。
そっと胸に祈りながらかなでは響也と穏やかな笑みを浮かべていた。
終