夏休みももう終わる八月末、榊大地は所用で高校にある菩提樹寮に足を運んだ。
用事の一つは同じ学年で、オーケストラ部の部長である如月律に部の費用について。
もう一つは自分の個人的な用事。
用事と言うにはちょっと違うけれど、言葉を付け加えるのならばこの夏にできた自分の恋人に会いたいと思った、だろうか。
強い日差しの照りつける道を少し外れると目に見えたのは菩提樹寮だった。
菩提樹寮のドアを開けると目の前に現れたのは大きな階段。この階段を昇ると途中で二つの道に別れる。
女子寮と男子寮の二方向。
榊はとりあえず、と思って1階の踊り場の先にある共用スペースを目指して歩いた。
共用スペースのドアを開けると少しばかりの熱とどこからか流れてくる風に榊の髪の毛が揺れる。
きょろきょろと、辺りを見回すと共用のソファに寝そべっている少女の姿を見つけて、思わず榊の顔が綻んだ。
ソファに寝そべって寝ているのは、星奏学院音楽科に所属するヴァイオリニストであり、二年に属する小日向かなでだった。
かなでは榊にとって大事な存在。
そのかなでが気持ち良さそうに寝そべっている。これはある意味予想外もいいところだ。
「ひなちゃん・・・それは予想外だなぁ」
苦笑する榊の本心など知らないかなではすやすやと夢の中の住人になっており、榊は小さなため息を吐きながら近づくと目の前にある椅子に腰掛ける。
これはある意味根気良くかなでが起きるのを待った方がいいかもしれない、榊の思考がそう判断していた。
「さて・・・どれくらいで起きるかな」
可愛らしい寝顔を見つめながら榊は自分の鞄の中に入っていた小説を取り出すとおもむろに本を読み始めた。
本を読み始めて五分くらい経った頃だろうか、やはり目の前のソファですやすやと眠っているかなでの存在が気になって仕方なくて。
榊は持っていた小説をぱたり、閉じると柔らかなかなでの髪の毛に触れる。
そっと触れた髪の毛は汗を含んでいるのか、若干湿っていた。寝ながら汗をかいているのを見て、小さい頃の自分を思い出すな、と苦笑していた。
「ねぇ、ひなちゃん。まだ起きる気はないかい?」
返答はない。ただ規則正しいかなでの呼吸の音が聞こえるだけ。これにはさすがの榊もお手上げだった。
あまりに気持ち良さそうなかなではある意味罪な人間である。
「・・・・・・君に逢いたくて焦がれているのに、そう思っているのは俺だけなのかな?」
こんなに一人の女性に焦がれたのは初めてだった。
逢いたいと、話がしたいと、傍にいたいと思ったのはかなでが初めて。
「余裕なくなるんだよなぁ、ひなちゃんだと」
何かと余裕を持てるように、いつも先回りしていたはずの榊が唯一予想できない相手、それがかなでだ。
普通ならそうなると苛立ちを覚えるのに、かなでだけは違っていた。
違うのは当たり前だ。自分がかなでに惚れているから。
かなでの頭を撫でながら榊はため息を吐くと、閉じていたはずの瞳がうっすらと開き始めたことに気づいた。
あ、起きる、と心構えをするとかなではへにゃと笑い「うふふ」と声を漏らすとまた夢の中へと誘われる。
何か幸せな夢を見ているのだろうか。
「・・・・・・・・・・・・大地、先輩・・・・・・・・・」
かなでの口から漏れたのは自分の名前。ぴくり、と触れていた手が止まる。
夢の中に自分がいるのだろうか。
かなでは相変わらずへにゃと笑いながら夢の世界にいるようで。
「ひなちゃん、それは反則だなぁ」
苦笑いと同時に、自分の頬が緩んでいる自覚はある。
ついでに言うならば頬に熱が集まっているようで、これでは別の意味で危ないと榊は自覚した。
このままだと自分はどうなってしまうかわからない。
かなでの顔をまじまじと見つめながら榊は火照った顔をどうにかしようと考える。
考えた結果は、ここを離れると言う選択肢。もともとは律に用事があるはずだった。
そしてかなでの寝ている様子を見てまだ起きそうにないことを理解する。
「こりゃ暫く起きそうにないな」
肩を竦めて榊は撫でていた手を離すと、心地良さそうに寝ているかなでを置いて、先に用事を済ませようとスペースを後にする。
恐らくまた戻って来た時には起きているか、寝ていれば起こしてもいいだろう。
そんな楽しみを残しながら榊は男子寮へと続く廊下を歩き始めていた。
俺の愛しいお姫様。
どうか、幸せな夢を見ていますように。
君が笑っているのが、一番嬉しいから。
「で、かなではそのまま寝たままだと言うことだな」
「ああ、まぁ、仕方ないからね。起こすのも悪いし」
「あいつ寝始めると暫く起きないぞ。それこそ昼過ぎから寝てるから、かれこれもう三時間は寝てる。起こしちゃってもいいのに」
「でも、あの心地良さそうな寝顔はちょっと起こすのに気が引けたんだよ。響也だってそう思わないかい?」
「あー・・・まぁ、わかんないでもないけど、さすがにそろそろ寝すぎだって。かなで、夜寝れなくなるぞ」
「それ、子供に言うセリフだと思うんだけど」
「アイツ子供だろうが」
「・・・・・・響也」
苦笑いを浮かべながら律の部屋にて響也と三人で会話を交わしていた榊は内心ため息を吐いていた。
子供だと言い切られたかなで自身はどう思うのだろうかと考えてしまう。
そんなことないもん、と言うだろうが、今回ばかりは上手くフォローできるか自信はなかった。
時計はそろそろ四時を回ろうとしている。
「さて、眠り姫を起こしに参りますか」
「ああ、そうだな。早く起こさないと夕食まで寝ていそうな気がする」
「その前にニアに起こされてるんじゃないか? むしろ写真撮られてたりして」
笑いながら律の部屋を後にした三人は共有スペースへ足を運ぶと、まさにその光景が広がっているのを見て大爆笑していたとか何とか。
予想違わずの光景に榊は身体から力が抜けるような感覚を覚えて、思わず壁に寄り掛かる。
その声で起きたかなではというと、不思議な光景に首を傾げていた。
終